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京都26 鷺 〜ゴイサギの由来〜

 〈あらすじ〉ある夏の日、時の帝が家臣たちと神泉苑で夕涼みをしている時、1羽の鷺を見つけ、蔵人(秘書)に捕らえるよう命令した。鷺は逃げ回ってつかまらない。そこで蔵人が「勅命であるぞ」と叫ぶと、鷺は羽を垂れ、神妙に地に伏したので、抱き上げて帝に差し出した。帝は深く感じ入り、鷺と蔵人に五位の位を授けた。勅命で鷺を放つと、うれしそうに舞い上がっていった。

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 この曲は平家物語の第五「朝廷揃えの事」に典拠した。ここで鷺が帝から五位を授かったので「ゴイサギ」の名前が生まれたといわれている。


 謡曲本では「能は人間以外に神や妖精、動植物など様々なものを主役に登用しているが、可憐な美しさに於いて鷺に勝るものはない」と称賛している。


 神泉苑は平安京が誕生した際、御所の南に広がる沼地を整備して造られ、常に清らかな泉が湧き出ていることから、その名が付けられた。造営当時は1320平方メートル(約400坪)と広大で、苑内に小島が設けられ、帝や貴族が舟遊びや花見、紅葉狩りなど四季を通じて楽しんだ。この物語はそのひとこまだ。


 ここは雨乞いの霊苑でもあった。平安初期の大干ばつの折、勅命により東寺の空海と西寺の守敏とで雨乞い合戦を行い、池に善女竜王を招き寄せて雨を降らせた空海が勝った。その結果、東寺が栄え、西寺が荒廃したという逸話がある。


 以来、干ばつのたびに雨乞いの儀式が行われるようになった。1182(寿永元)年の干ばつには100人の白拍子が舞を舞い、なかで際立って美しかった静御前を源義経が見初めたといわれる。苑が二人の初めての出会いの場所だった。


 その後、苑は次第に荒れ果て、とくに徳川家康が二条城を築城した際、苑の北側を削り取り、敷地は10分の1に縮小してしまった。もっとも、天下に徳川の威信を示したこの城も、大政奉還で幕府終えんの舞台となったのは皮肉だ。


 神泉苑へは地下鉄「二条城前」で下車、二条城の外濠に沿って数分歩く。正門は御池通り。大鳥居をくぐると善女竜王社がある。その前に「恋みくじ」の箱が置いてあり、200円。義経・静の出会いにあやかろうと、若い女性に人気があるようだ。


 観光客であふれる二条城に比べて静かだ。訪れた時は池のほとりに鷺ではなく、アヒルが数羽。人影はなかった。左の朱色の橋を渡ると本堂があり、池には竜の頭をつけた屋形船が浮かんでいた。料亭の「竜王丸」だ。


 船中で池を眺めながら、特別御膳で杯を重ねる。ささやかではあるが、舟遊びの気分が楽しめるという。

(2012年9月22日号掲載)


=写真=静かなたたずまいの神泉苑

 
謡跡めぐり