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07 〜「長野びんずる」が発足〜

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 市政と直接関係のあることではないが市民挙げての「祇園祭」「長野まつり」の様式が大きく変化したのは、1966(昭和41)年の長野市大合併からであったが、本格的な大改革がなされたのは71年であった。


 この年1月早々、長野青年会議所は市民祭企画委員会を開き、夏祭りの検討を始めた。そして3月、理事会で「市民総和楽」の新しい祭り「長野びんずる」の創設と企画骨子案を議決し、市民に開催を呼び掛けた。


 「びんずる」の名称は、善光寺のびんずる尊者像から取ったもので、善光寺のイメージともぴったりし、語呂もいいということで決定した。


 一時は善光寺をいただく仏都ということで"火祭り"の案が浮上し、全国各地の市民祭の資料を基に卍(まんじ)型の踊り場所なども検討されたが、実際には交通事情から中央通りでの開催となった。


 4月には「びんずるばやし」の制作の打ち合わせを行い、信越放送(SBC)を通じ「東京企画」にリズムと踊りの制作を依頼した結果、作詞は森菊蔵、作曲は真木陽(とおる)と決定した。


 作詞者の森は実行委員会の要望を聞きながら、その場でペンを走らせ詞を完成させた。委員一同は作詞の素早さに驚くとともに、軽やかに始まる感じの詞の素晴らしさに感激したという。


 曲は祇園祭のお囃子の笛や太鼓の音を多く取り入れ、また、踊りの列の整頓を考えて曲の途中にお囃子を入れるように工夫した。振り付けは岩井半四郎に依頼した。


 誰でも踊れる簡略なものをという当初の考えであったが、出来上がった踊りはやや難しく感じたため、実行委員会の相談で手直しをした。踊っているうちにいろいろなアレンジができるようにという配慮がなされ、この方が各人が祭りを楽しめるだろうとの予測もあった。


 「第1回長野びんずる」では、71年7月30日から8月12日の間に市内各所で様々なイベントや行事が繰り広げられた。8月1日は飯綱火祭り、7日には松代地区自衛隊音楽パレード・長野地区びんずる踊りなどが行われた。


 8月7日の「長野地区実行委員会日誌」には「九時三〇分、何ひとつ事故もなく無事終了。第一回の市民祭は大成功をおさめたといえそうだ、ヨカッタ!」(青木恵太郎 「びんずる三昧」)と記されている。

(2012年10月6日号掲載)


=写真=昭和通りで踊る長野びんずるの連