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014 ドイツ ローラ・モンテス 〜美貌を武器に栄華と転落〜

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 『歴史は女で作られる』という仏独合作映画がある。主演はマルティーヌ・キャロル。その役はローラ・モンテスという"傾国の美女"だった。


 ミュンヘンの西5キロの郊外に、豪奢な離宮がある。"妖精の城"ニンフェンブルクだ。ご当地バイエルンの国王の夏の離宮として使用され、今のような建物全体が完成したのは20世紀と新しい。城は17世紀に着工された時のバロック様式だが、正面入り口の石の広間はロココ様式だ。


 この城の売り物は、南翼の奥にある"美人画ギャラリー"。ミュンヘンに実在していた美女36人の肖像画を飾っている。


 この中で異彩を放つのが、本名エリザベス・ロザンナ・ギルバートで、芸名ローラ・モンテス=写真。イギリス生まれのローラは16歳でイギリスの軍大尉と駆け落ちしてインドへ。だが、夫と別れて故国へ単身帰郷した後、インドで身に付けた踊りを披露して人気ダンサーとなった。ここで芸名をローラ・モンテスと名乗る。


 人気がエスカレートした踊りは「タランチェラ」と命名したセクシーダンス。貧しい幼年期を送ったローラにとって、ターゲットは裕福な資産家。周囲の目もはばからず、愛人となって高収入を得るようになる。


 ローラはミュンヘンに旅をする機会を得る。これが彼女の人生の大きな転機になろうとは、ローラ自身も予期しなかったのではないか。1846年。当時のバイエルン国王ルードビッヒ1世の目に留まる。ローラが手練手管を駆使したことは容易に想像できる。寵愛を受けた王から巨額の年金と共に「伯爵夫人」の称号を与えられる。


 こうした王の破格の待遇は、周囲の反発を買う。増長したローラは、政治にも口出しを始める。内閣の解散にも手を貸すなど過熱していく。それから2年後の2月。市民集会に参加した学生などが、ローラの国外退去を要求し、ついに王も退位する羽目に。


 ローラはアメリカに渡り、スキャンダルの踊り子として好奇の目にさらされながら再婚するも破局。今度はオーストラリアに渡って、「スパイダー・ダンス」と命名した過激な踊りを見せたが、次第に落ちぶれる。晩年、再びアメリカへ戻ったが、肺炎を発症して39歳で夭折した。


 映画は、彼女の斜陽と華やかな日々を交錯させながら展開していく。美貌を武器にした栄華と転落の人生を思い浮かべながら、ニンフェンブルクを退館し路面電車を待っていると、モデルらしき美女3人が立って談笑していた。私は「ローラのような人生を歩まないで」と祈るような気持ちでいた。

(2012年10月20日号掲載)


 
ヨーロッパ美の旅