秋草のいづれはあれど露霜に瘠せし野菊の花をあはれむ 伊藤左千夫
◇

秋の草花には、いずれ劣らず、すてきなものがある。けれども、冷たい露霜に当たってしおれかけた野菊を、しみじみ好ましく感じるよ...。
明治の歌人・伊藤左千夫は、とりわけ野菊を愛した。自分の家を「野菊の宿」と名付けるほどだった。「秋草の」で始まる1首は、野菊を詠んだ代表作である。
歌だけではない。
「私ほんとうに野菊が好き」
「僕はもとから野菊がだい好き」
「私なんでも野菊の生れ返りよ」
「道理で民さんは野菊のような人だ」
純真、素朴でひたむきな恋を描いた純愛悲恋小説『野菊の墓』は会話も初々しく、前半のヤマ場を盛り上げる。
15歳の少年政夫と2つ年上の少女民子-。同居するいとこ同士の2人が、互いに異性として意識し始めた。さらには「好きな人」として、心の中で愛を温め合うようになる。
しかし、古いしきたりにこだわる大人たちには許せない。政夫は進学して寮住まいとなる。民子は政夫への思いを秘めたまま、無理やり他家へ嫁がされた。

やがて身ごもった民子は、6カ月で流産してしまう。それが災いして病に伏し、命果てた。手には赤い絹の布に包んだ政夫の写真と手紙が、固くしっかり握りしめられていた。
1906(明治39)年に発表されたこの小説は今なお、感涙なしに読み通せない。半世紀後の1955(昭和30)年、松竹大船の木下恵介監督が映画化した。『野菊の如き君なりき』である。
小説では千葉県内の農村が舞台になっている。そこを木下監督はそっくり信州に変えた。善光寺平周辺の美しい風景を織り込み、物語を展開させている。
回想シーンを楕円の卵形に縁取った独特の映像は、幻想的な詩情にあふれている。だから、どの場面にどこが撮影されているのか、見当がつきかねる。
作家で評伝の名手・長部日出雄さんの『天才監督 木下惠介』(新潮社)を読み進むうちに、すっかり引き込まれた。信州ロケの様子が丹念に解き明かされている。
それによると、長野市大門の旅館「藤屋」を本拠に俳優、スタッフがバスで移動した撮影地は20数カ所に及ぶ。
例えば、中学(旧制)へ進学する政夫が、民子に見送られて旅立つ涙の場面。雨の渡し場を小舟が霧の中に消え去るところは、上高井郡小布施町山王島の千曲川で撮影された。
ナスを採りながら2人の間に愛が芽生える裏畑は、当時の上水内郡牟礼村で。綿摘みに行って恋心が深まる「山の畑」は、長野市大豆島でのロケだった。
大きなかやぶき屋根の農家は、今も千曲市打沢にある白い塀と門構えの旧家。美しい夕焼け景色は、落合橋下流の千曲川土手である。
善光寺平の自然が主役の一端を担ったのだ。
〔野菊〕山野に生える野生の菊の総称。花は小さく、淡い紫のノコンギクやヨメナ、白色のリュウノウギクなど種類は多い。華やかな栽培種と違う素朴な趣が好まれる。
(2012年10月6日号掲載)
=写真=ロケ地になった山王島の千曲川岸辺