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京都27 胡蝶(こちょう) 〜「鬘物」の小品〜

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〈あらすじ〉 旅僧が都の一条大宮辺りで、古い神社の満開の梅を眺めていると、一人の女が現れる。神社や梅のいわれなどを語り、「私は胡蝶で、初春に咲く梅の花にだけ縁がないのが悲しい」と言い残し消える。僧が願いをかなえようと読経していると、美しい胡蝶の精が現れ、「お経のおかげで梅花と遊ぶことができた。永年の夢がかなって成仏できる」と感謝して舞を舞う。

     ◇

 観世小次郎信光が、源氏物語の「胡蝶の巻」をヒントに創作。信光はその代表作に「船弁慶」「紅葉狩」「安宅」「道成寺」などがあり、出演者が多く、劇的で華やかな作品で知られる。だが、この謡曲だけはかれんな胡蝶の夢をかなえてやるという、おとぎ話のような作品だ。「鬘物」の軽い小品として親しまれている。


 この謡曲の舞台は「一条大宮とやらん」と、漠然としているが、今の上京区今出川大宮の交差点を中心とした西陣地区とされている。平安京の御所は、現在の御所より少し西にあり、その横に広大な楽園があった。御所の台所を賄う農園や花畑、桃、梅などの果樹園もあり、人々は「桃薗」と呼んできた。


 西陣の真ん中に、その名を継いできた「桃薗小学校」があった。1995(平成7)年に小学校の統廃合で廃校となり、「西陣中央小学校」と名前が変わった。卒業生たちはそれを惜しんで「懐想 桃薗小学校 幼稚園」という文字板を校舎の正面に掲げている。


 謡曲の「古宮」はどこだろうか。探したところ、それらしい神社が二つあった。一つは小学校と道路を挟んで正面にある首途(かどで)八幡宮。神宮皇后ら3神を祀る。牛若丸が鞍馬山を抜け出して金売り吉次と奥州に旅立つ際、道中の安全を祈願したという逸話がある。もう一つは小学校の通用門内で、すぐ南にある観世稲荷社。ここは観世の創始者が足利幕府から拝領した屋敷跡。一門は江戸時代初期まで住んだ。町名は今も「観世町」だ。


 私は信光もここに住み、庭先にあった神社の梅を眺めながら、「胡蝶」を書き上げたと想像し、古宮を観世稲荷社と決めて、同小学校を訪ねた。謡曲好きの旅人と知って職員が快く案内してくれた。稲荷社は小さな祠で「一足稲荷大明神 観世龍王の社」と刻んだ石碑が立っていた。「観世水」と刻んだ自然石もあり、鉄格子の奥に一門が使ってきたという井戸があった。


 礼を言うため職員室に立ち寄ると、「古典芸能の知識と母校愛を深めようと、能楽堂の先生を招き、5、6年生を対象に能の歴史や装束、謡曲などの学習をしている」と話してくれた。うれしい話だった。

(2012年10月6日号掲載)


=写真=小学校内にある観世稲荷社

 
謡跡めぐり