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京都28 弓八幡(ゆみやわた)世阿弥の初能物

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 〈あらすじ〉 後宇多天皇の家臣が男山八幡宮に参拝していると、錦の袋に弓を入れた老人と出会う。どこから来たかと尋ねると「当社に永く仕えている者で、桑の弓を天皇に捧げようと待っていた」と答え、神宮皇后の三韓征伐や八幡宮の由来などを語り、「自分は八幡宮の神託を伝えるために来た高良(こうら)の神である」と言って消える。やがて音楽が聞こえて高良の神が現れ、国土安全、平和の御世を讃えて舞う。

        ◇

 泰平の世と八幡宮の神徳を讃えて世阿弥が創作した初能物。「武力は天下を平和に治めるためのもので、争うためのものではない」ことを主張し、「本宮の末社である高良神社の神に武器である弓を袋に入れて登場させたのも、そのためである」と謡曲本は解説している。


 石清水八幡宮は、京都盆地の南西にある男山に鎮座する。社伝によると弘法大師の弟子の行教が859(貞観元)年、大分の宇佐八幡宮に参籠した際、神託によって現在地に勧請(かんじょう=分霊)したという。


 以来、京都の北東にある比叡山延暦寺と対峙して、南西を守る「王城守護の神」となり、伊勢神宮に次ぐ「第2の宗廟」として朝廷から重視された。源氏一族から氏神として信仰され、八幡宮は武神として全国各地に勧請されていった。


 この八幡宮へは京阪電車で「八幡市駅前」で下車。横断歩道を渡ると一の鳥居があり、右手に放生池や高良神社がある。さらに二の鳥居、三の鳥居を経て、健脚だと30分ほどで山頂の本宮に着く。


 私は駅前からのケーブルカーを利用した。数分で山頂駅、5分ほど歩いて参道の中ほどに出た。参道にはかつての宿坊から奉納された石灯籠がずらりと並んでいる。ここは創建当初から神仏習合の宮寺で「石清水八幡宮護国寺」と称し、48もの宿坊が軒を連ねていたが、明治の廃仏毀釈で小寺や宿坊が切り捨てられた。山中のあちこちに宿坊跡の石碑が残っていた。


 本殿は何回となく焼失し、今の社殿は徳川家光の造営による。国の重要文化財に指定されている朱色の建物は、秋には紅葉に反映して格別に美しいという。


 帰りのケーブルカーで次のような放送をしていた。仁和寺の和尚が訪れ、麓にある末社の高良神社の参詣を済ませたが、人々は山頂に向かっている。気になったものの、山登りが目的ではないと帰ってきた。後で石清水八幡宮は山頂にあると聞いて悔やんだ。「少しの事にも先達(せんだつ=案内者)はあらまほしき事なり」という兼好法師が徒然草につづった教訓だ。一人旅の私も同じような失敗を繰り返している。

(2012年10月27日号掲載)


=写真=石清水八幡宮の本殿

 
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