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59 「後期高齢者」万感(上)

 歩く会でSさんがこんな自己紹介をして、みんなを笑わせた。澄ました顔で「わたしは前期高齢者はとっくに終わり、後期高齢者も卒業して、いま末期高齢者です」。会場はどっと笑いの渦となったのだが、その直後、申し合わせたように不思議な沈黙の時間が流れた。重い時間だった。「後期高齢者」が前触れもなく、突然現れたのは2008年前後のことだった。大変な批判と反発を浴びたのは、ご存じのとおりだ。


 いたたまれない寂寥感

 反発と憤りの声は新聞だけ見ても「声」欄はもとより、短歌・俳句・川柳の世界にも及び、その投稿数は膨大な数に上ったようだ。A新聞では短歌だけでも、毎週3000首に達したと報じていた。


 とにかく「後期高齢者」は評判が悪かった。一時は国民総立ちの感があったほどで、「あなたは人生の終わりが近づいています。分かっていますか、念のため」のような印象を深くしたのだ。その仕打ちはいかにも事務処理的な扱いで、情の通いがいかほどもなく、役所仕事の典型を絵に描いたようなものだった。


 こんな歌があった。


懸命に生きたる罪か人間の枠外されし後期高齢者(熊本県 三池淑恵)


 「...今回身体障害者として、75歳未満だけど後期高齢者医療制度の対象になることとわかった時には、生きてゆくのがはばかられる、そんな思いがした」というのである。


 シニア大学での休憩時には

「姨捨山行きってことさ。

死ねというわけでもあるまいが、要するに不要品ってことですよ。

御祓(おはらい)箱ってことか。

生きようって頑張る人を切り捨てる制度ですね、用済みってことですよ」


などなどと、持ち切りだった。いつ、誰の川柳だったのか知らぬが、


老人は死んで下さい国のため


があらためて思い出されもしたのだった。


 いつしか一人歩きの名をもつも哀しいものを後期高齢者(群馬県 眞庭義夫)

 いたたまれない空しさ。天には届いているが国には届かぬというやりきれなさ。政治、役人の持つ非情なかたくなさと頑固さ。


 冥土までもうすぐですよのお触れなる「後期高齢者」よくぞ命名(秦野市 浦上昭一)

 精いっぱいの反発と皮肉を込めて。


 終着駅めざすのみなる通行手形後期高齢者保険証もらう(上越市 三浦礼子)

 稚内・大湊・輪島・枕崎...終着駅にはロマンも漂うのだが。「さいはての驛(釧路)に下り立ち/雪あかり/さびしき町にあゆみ入りにき」(石川啄木)

 

 食べし飯(いい)さえ忘るる夫に記載漏れあれば記せと保険庁の書類(名取市 木村みな)

 誰しもそうなるのだが-。愛憐と非情と。


 じわじわと老の系譜にせまりくるこの国だけの後期高齢者(町田市 早坂康昭)

 そうか、この国だけなのか。


 突然の後期高齢燕来る(川崎市 山本房子)

 選者の金子兜太氏は評す。「ツバメのようにさっと飛び込んできて、怪しからん」と。


 漫歩漫筆

 こんな歌もある。

 幾度も末期の菖太郎(犬の名)看にゆけりわずかに腹の膨らみ沈む(長野県 柳 遼介)

 あれほど遠くからでも足音を聞きつけ、尻尾を振り続けてくれたのに、もう呼んでも聞こえないようだ。


 励まされ癒やされることば

 ・愚痴れば前へいく力が減るだけだ。

 ・目標があれば思い切れる。

 ・ふてくされても仕様がない。それが嫌なら死ぬしかない。(小野田寛郎)

 ・棺桶の蓋も自分で閉じるから 世話にならぬと妻と言合う(二宮正博)

 「棺桶の蓋を自分で閉める...」その発想の卓抜さ、愉快さ、"サヨナラ"の声の何と気高きことか。できることなら「オレもそうしたい/ワタシも」という声が聞こえてくる。

 ・食後必ずテーブル磨く老婆あり あと一年で一〇〇歳となる(稲垣元博)

 ・死んでよりつくづく良き人盆来る(鈴木ひさお)

 ・父の骨枯木の山へ還りけり(縣 展子)

(2012年10月6日号掲載)

 
美しい晩年