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01 鳥にのめり込み 〜卵集めが高じて研究者に〜

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 小学4年生だったと思いますが、神社の境内で遊んでいて小さな青い卵を見つけました。こんなに鮮やかな青色の卵があるなら金色も赤もあるはず。たくさん集めたら宝石箱のようになるだろうと想像してワクワクしました。こうして私は鳥の卵の収集を始めました。


 卵を採るには巣を見つけなくてはならない。巣を見つけるには鳥を見つけなくてはならない。さらにカップルを見つけないと巣は見つけられない。卵欲しさに、ありとあらゆる工夫をしました。


 「体で覚える」という言い方がありますね。小学生から高校生くらいの時期に体で覚えることの大切さは、スポーツ選手などの例を挙げるまでもありません。私の場合、鳥を追うことを、まず体で覚えま した。すると、鳥の顔を見て、こいつはあっちに飛びたがっているとか、これ以上近づいてほしくないようだ、ということが分かるようになる。このことが後の研究生活に非常に役立ちました。


 食料である魚や、作物の害虫にもなる昆虫などと違い、鳥は人間生活との直接的関わりがほとんどありません。実用性に乏しいので税金の投入もされにくく、生活に困らない皇族や貴族の方々による研究対象だった歴史があります。山階鳥類研究所がその象徴で、私が所長になったときは、初の「平民」所長といわれました。ほかの学問同様、鳥も大学が研究拠点になったのは私の代から。先輩方は海外に活路を求めて日本を出るしかありませんでした。   


 私は元々は中学の理科教師でした。希望してなったわけですし、一生それでいいと思っていました。ところがその後大学に移り、日本鳥学会会長を務め、山階鳥類研究所所長、新潟大学の朱鷺(とき)自然再生学研究センター長など、鳥研究者として第一線を歩むことになりました。卵集めが高じて鳥の観察にのめり込んでいただけに見えた理科教師が、なぜそうなったのか。友人たちにも理解しがたいようです。今、兵庫県のコウノトリの郷公園長を残して徐々に役職を退き、東京中心の生活を長野市中心に戻そうかと思っているところです。

(聞き書き・北原広子)

(2012年11月3日号掲載)


山岸哲さんの主な歩み


1939:昭和14:須坂市に生まれる。父、喜三郎戦死

1945:20:長野師範学校附属長野小学校入学

1951:26:信州大学附属長野中学校入学

1954:29:長野北高等学校入学

1957:32:信州大学教育学部2類理科入学

1961:36:下伊那郡天竜中学校教諭

1964:39:長野市小田切中学校教諭

1965:40:田幸幸子と結婚

1968:43:長野市柳町中学校教諭

1971:46:信州大学教育学部助手

1973:48:日本鳥学会奨学賞受賞

1975:50:京都大学理学部動物学教室に内地留学 大阪市立大学理学部講師

1977:52:京都大学理学博士取得

1988:63:大阪市立大学大学院理学研究科教授

1993:平成5:日本鳥学会会長(1997年まで)

1994:6:日本生態学会近畿地区会会長(95年まで)

1997:9:京都大学大学院理学研究科教授

1999:11:山階芳麿賞受賞

2001:13:母、けさみ逝く

2002:14:山階鳥類研究所所長

2003:15:妻、幸子逝く

2005:17:応用生態工学会会長(2009年まで)

2007:19:環境大臣表彰

2008:20:山階鳥類研究所名誉所長

2008:20:新潟大学特任教授・朱鷺自然再生学研究センター長

2009:21:滝澤弘子と再婚

2010:22:兵庫県立コウノトリの郷公園園長

 
山岸哲さん