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021 牧水の寂しさ ~恋の挫折が名歌を生む~

かたはらに秋ぐさの花かたるらく ほろびしものはなつかしきかな


白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけれ 若山牧水

     ◇

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 さびしい歌だ。つい物悲しい気分に、誘い込まれてしまう。滅びてしまったものは懐かしいと、秋の草花が語りかける。あるいは秋の夜長、酒は独り静かに飲むに限る、と。


 前書きがあり、「九月初めより十一月半ばまで信濃国浅間山の麓に遊べり、歌三十首」と述べている。


 1910(明治43)年9月上旬、牧水は早稲田大学時代の友人で俳人の飯田蛇笏(だこつ)を山梨県内に訪ねた。発行を始めたばかりの雑誌「創作」も人に任せ、小諸へ向かう。


 恋愛関係の行き詰まりの果て、心身ともにボロボロの時だ。歌の仲間で医師の岩崎樫郎が声を掛け、彼の勤める田村病院で療養させてくれたのだった。


 旧北国街道小諸宿の中心、国鉄信越線の線路を挟んで目の前は懐古園である。荒れるがままの城跡に、牧水はしばしば足を運んだ。

崩れかかった石垣、はびこる雑草の"兵どもが夢のあと"に、自分の破れた恋を重ね合わせたのだろう。


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 世代を超えて今も、牧水の歌は親しまれている。恋、旅、そして酒-。人生の哀歓を縦横に詠い、人それぞれの胸に切々と染み入る。


 けれども、ここに至るまでの熱く燃えた恋情を知るにつけ、一転して失意に沈む道程が残酷に思えてならない。


 逃れるように東京からやって来た4年前。数え22歳の牧水は九州の宮崎へ帰省する途中、神戸の友人の下宿先に立ち寄った。そこで一人の女性を知る。


 園田小枝子だ。翌年の春には東京へ、牧水に会いに来た。二人の仲は急速に深まる。暮れから正月にかけて10日余り、千葉県の根本海岸で共に過ごした。


山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君


松透きて海見ゆる窓のまひる日にやすらに睡る人の髪吸ふ


 その海辺でこんな情熱的な歌が数々あふれ出た。高揚した恋の波動が打ち寄せている。


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 ところが、小枝子には夫がいた。二人の子の母親でもあった。牧水はそれを知らない。大学を卒業し、いよいよ小枝子を迎えるために、借家まで用意した。


 のめりこむ牧水、応じられない小枝子。不安と疑念を紛らわそうと牧水は酒に浸る。

わが小枝子思ひいづればふくみたる酒のにほひの寂しくあるかな


 こうしてたどり着いたのが小諸だった。「かたわらに秋ぐさの...」の一首も「白玉の歯にしみとほる...」のもう一首も、傷心のどん底から紡ぎ出されている。


 苦しく寂しい牧水の胸中をしのびつつ、懐古園内を歩いた。今は整備が行き届き、観光客も多く「滅びし」の印象は薄い。それでも一歩それると、ミズヒキや野菊など秋の草花が、牧水の悲恋を語りかけてきた。


 「創作」1910(明治43)年、若山牧水が創刊し主宰した詩歌雑誌。初期には石川啄木、北原白秋らが加わり、牧水の死後は妻の喜志子が引き継いだ。

(2012年11月3日号掲載)


=写真=秋草の花が咲く懐古園

 
愛と感動の信濃路詩紀行