
村のかじや 文部省唱歌
一、しばしも休まず 槌打つ響き
飛び散る火花よ 走る湯玉
ふいごの風さえ 息をも継がず
仕事に精出す 村の鍛冶屋
二、あるじは名高い はたらき者よ
早起き早寝の 病知らず
なが年きたえた じまんのうでで
打ち出す すき くわ 心こもる
◇
田や畑、山での仕事が手作業でなされていたころだ。かま、くわ、なたなどの道具は、近所の鍛冶屋さんが注文に応じて作っていた。
トンテンカン、トンテンカン...。その仕事場からは、日がな一日、槌打つ音が響いてくる。真っ赤に焼いた鉄片を大槌と小槌で交互に打ちつけ、平らに延ばしては焼き、また打つ。
飛び散る火花の向こうに鍛冶屋は、注文に来た農家の人の親しい顔を思い浮かべていたのではないだろうか。手仕事の充実感、磨いた腕の誇り、皆の役に立つことの喜びだ。
もともと1912(大正元)年に文部省唱歌として登場した際には、4番まであった。
三、刀は打たねど 大鎌小鎌
馬鍬に作鍬 鋤よ鉈よ
平和の打ち物 休まず打ちて
日毎に戦う懶惰の敵と
四、稼ぐに追いつく 貧乏なくて
名物鍛冶屋は 日々に繁昌
あたりに類なき 仕事のほまれ
槌打つ響に まして高し
とりわけ3番には、庶民の暮らしを支える心意気が、小気味よく歌い込まれている。
城下町の一角、鍛冶町などと呼ばれる所で、戦闘用の刀を作る「刀鍛冶」ではない。村のあちこちで、かま、くわなどを手掛ける「野鍛冶」たちである。日常生活用の道具をせっせと作り、戦う相手は懶惰、つまり自分の怠け心だと戒める。

ところが太平洋戦争下の42(昭和17)年、国民学校向けに改定するに当たり3、4番がそっくり削られた。1番は語句が一部変わり、2番は大きく改められている。特に後半の2行だ。
大正元年の歌詞は「鉄より堅しと ほこれる腕に/勝りて堅きは 彼がこころ」である。これが「鉄より堅いと じまんの腕で/打ち出す刃物に 心こもる」となった。
さらに戦後、47(昭和22)年に再び手直しされる。「刃物」が「すき、くわ」に戻るなど、今日の姿に落ち着いた。
江戸時代から信濃町は、信州鎌の産地として名高い。国道18号線(旧北国街道)沿い、かやぶき屋根の古民家が人目を引く。信州「村のかじや」友の会が保存に力を入れる中村家住宅だ=写真下。

中に踏み入るや、昔懐かしい空気に全身を包まれた。往時のままの鍛冶場が、そのまま残されている=同上。槌の響きが聞こえ、飛び散る火花が目に映るかのようだった。
〔村の鍛冶屋歌碑〕作詞者と作曲者は不詳。歌詞の舞台も特定されていないけれど、信濃町柏原のほかに、兵庫県の金物産地である三木市の金物資料館敷地内にある。
(2012年11月17日号掲載)