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55 大砲鋳造 〜試射の砲弾山を越えて〜

薩長・真田に大砲なくば官軍破るも何のその

薩長・真田にほれるな女子いのちしらずの子ができる


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 善光寺近くの古書店で、"ガリ版"(謄写版)刷りの「川中島・松代小覧」という冊子を買った。冒頭の狂歌の出典だ。この中で佐久間象山は「黎明、日本の大先覚者。幕末維新は人傑多し。薩人は南州(西郷隆盛)を有し、長人は(吉田)松陰を有す。...我等の有する象山は堂々と彼等の間に生す。偉なる哉、郷土の偉人」とある。


 維新期の松代藩は10代藩主・幸民の下、信州の諸藩では比較的早く討幕派に加わり、1868(慶応4)年、新政府方として戊辰の役に参加した。その前に象山は48(嘉永元)年の正月、藩命で洋書を参考に大砲を鋳造。邦人が大砲を造った最初で、松代で試射を行って成功している。象山は51(同4)年2月、日本一の巨砲を鋳造。松代近郊の生萱村(いきがやむら=現千曲市)で、多くの門弟を従えて試射を演じた。


 砲弾は山を越えて同市の満照寺境内に落下。そこは幕府直轄の天領で寺の聖域。問題が紛糾したが、象山は長文の報告書を藩に送って謝罪を拒んだ。象山の主張は要旨、次のとおり。


 「大砲の実演は国防上の必要から公儀も認めるところだ。我らは国を守るために実施しているのであって、決して幕府に敵対するためではない。大砲はまだ新しい兵器で、俗人には分からぬ微妙な点も多い。その研究のためには神社仏閣といえども、多少の犠牲は忍ばねばならぬ」(『佐久間象山の生涯』から)。


 大砲の成功を喜んだ象山は次のような七言絶句を作った。


 春野乗晴大砲演

四林桃杏正芳菲

一声霹靂震天地

万樹落花撩乱飛


春野晴れに乗じて大砲を演ず

四林の桃杏正に芳菲(ほうひ)なり

一声の霹靂(へきれき)天地を震わし

万樹の落花撩乱として飛ぶ

 詩碑は現在、千曲市生萱の沢山川のほとりにある=写真。



 
象山余聞