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016 ドイツ リーメンシュナイダーの木彫 〜聖書の心彫った"聖血祭壇"〜

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 ヴュルツブルクを起点にフュッセンで終えるドイツ・ロマンチック街道の中間点、ローテンブルクは最大の人気スポットだ。一年中クリスマスグッズの展示やセールをするなどにぎわっている。


 特に名高いのは、市庁舎横の仕掛け時計=写真上。市議宴会館にある大時計の両サイドの窓が、11時から15時までの1時間ごとに開く。左側はティリー将軍。右手は当時の市長ヌッシュ。


 17世紀初めから続いた30年戦争で、ローテンブルク軍は皇帝軍に敗北。街を焼き払う直前に将軍が酔った勢いで「誰かそこの大ジョッキ(3・25リットル)にワインを満たして一気に飲み干したら街を救ってやる」と言ったことを受けて、老市長がこれに応える。街は破壊を免れ、"マイスター・トゥルンク"(市長の一気飲み)として、仕掛け時計や毎年行われる歴史劇として残されている。老市長はその後、3日間眠り続けたという。


 もう一つ。私がぜひ一度、自分の目で見てほしいのは、木彫の"聖血祭壇"だ=同下。聖ヤコブ教会にある。作者はティルマン・リーメンシュナイダー。ネオ・ゴシックを代表する彫刻家だ。彼はドイツ東部のチューリンゲン地方の小都市で徒弟時代を過ごした後、遍歴の旅に出た。1520年から2年間、ヴュルツブルクで市長もしている。


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 この後、ルターの宗教改革に影響され、領主たちに自分たちの権利を侵害されていると感じた地元の農民たちが立ち上がる。村々に農民の組織が広がり、蜂起した農民たちは集団的行動をとるようになった。この時、ヴュルツブルク市参事会の10人が農民サイドに立ち司教の追放に一役買ったが、その一人がリーメンシュナイダーだった。


 彼の底には純粋な宗教心があったといわれる。彼は、色彩を用いずにひたすら聖書の心を菩提樹に掘り続けた。その一つが聖ヤコブ教会の"聖血祭壇"の「最後の晩餐だ。聖血というのは、キリストの血が彫刻上部のカプセルに納められているといわれるためだ。キリストと会話する裏切り者のユダでさえ、正面に据えて温かみを与えている。農民の苦しみに理解・共感を示した彼だが、エスカレートした農民運動は結局、敗北に終わる。


 彼は捕らえられ拷問にかけられた。ぬれぎぬだったという。最悪なのは,生命線だった腕を破壊されて、釈放後は当然、作品を残すことはできなかった。それが精神的にも大きな影響を与えたことは想像に難くない。1531年7月9日、失意のうちに死去した。


 以来、彼は美術史の世界から消えたが、ジェリコーらフランス・ロマン派から見直されたことで再び表舞台に立った。私は聖血祭壇の前に立ち、彼の思いをじっとかみしめた。

(2012年12月15日号掲載)


 
ヨーロッパ美の旅