記事カテゴリ:

京都30 〜女郎花(おみなめし)男山に群生地〜

 〈あらすじ〉 旅僧が石清水八幡宮を参拝するため男山の麓に来ると、女郎花(おみなえし)が美しく咲いている。一本を手折ろうとした時、老人が現れて叱る。2人は論争した後、老人は八幡宮を案内し、麓にある男塚、女塚を教え「これは頼風(よりかぜ)夫婦の墓で、私が頼風だ」と言って消える。僧が読経していると夫婦の亡霊が現れ、放生川に身を投げたいきさつなどを語り、いまも邪淫の悪鬼に苦しめられているので、成仏させてほしいと懇願する。

      ◇

30-youseki-1208p1.jpg

 秋になると雑草の中に、くねりながら咲く淡い黄色の花。女郎花のかれんさに魅せられて、万葉の昔から和歌にうたわれ、平安時代の古今和歌集にも数多く載っている。その選者の一人である紀貫之が書いた仮名序(かなで書いた序文)に「男山の昔を思ひいでて女郎花の一時をくねるにも唄をいひてぞなぐさめける」という一文がある。八幡宮の男山は当時、女郎花の群生地として知られた。この謡曲はこれをヒントに創作されたといわれる。


 謡曲の物語は次のようだ。男山の麓に小野頼風という男がいた。都で言い交わした女が訪ねて来た時、あいにく留守で会えず、女は心変わりしたと思い込み、放生川(前回紹介)に身を投げてしまった。頼風は泣く泣く死体を埋めると、そこから一本の女郎花が咲いた。頼風がいとおしんで近づくと、花はくねって避けてしまう。頼風は女の哀れさを感じ、後を追って放生川に身を投げた。


 男女を弔った塚は、かつては同じ場所にあったようだが、今は別々だ。頼風の男塚は八幡市立図書館前に「じばん宗」という生菓子屋の老舗があり、その店の横の狭い路地を入ると突き当たりにある。横に謡曲史跡保存会の駒札と石灯籠が1基。粗末な史跡だ。


30-youseki-1208p2.jpg

 女塚は南へ2キロほど離れた洛南の名園・松花堂の庭園内にある。この堂は江戸時代初期の僧侶で文化人だった松花堂昭乗が住んだ所。かつては男山の東麓にあったが、明治の廃仏毀釈で追い出され、この地に移った。草庵や茶室は原形のまま移され、京都府指定文化財として保存されている。


 松花堂といえば「松花堂弁当」の発祥で知られる。昭乗が農家で使っていた四角に区切った種入れが気に入り、筆や墨を入れる書道箱とした。それを料亭・吉兆の創始者が弁当箱に応用した。庭園横に吉兆店があり、地元の食材を使った本家の味を賞味できる。


 女塚は草庵の入り口近くにあった。塚の前には花の時季には早かったが女郎花が植わっていた。こちらは名園内で大事にされ、400円の入園料を支払わないと対面できない。男塚より格上に見えたのは仕方がない。

(2012年12月8日号掲載)


=写真上=女塚

=写真下=男塚

 
謡跡めぐり