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62 そうだ シニア大学へ行こう(上)



 長年、シニア大学(老人大学)に関わってきた立場から、最近の県内シニア大学の事情について述べてみたい。


シニア大学に異変が...

 それは何か。県内10カ所にあるシニア大学の共通事項なのだが、年々シニア世代が増加しているにもかかわらず、入学生が減少しているという事実があるのだ。


 この予想もしていなかった実情に対して、ここ10年来のシニア世代に、あるいは日本(長野県) の時代思潮に、学ぶ意欲の衰退があって、それがいつとはなしに忍び寄ってきたのではないか、という指摘がある。仮にそうだったとすれば、これはまことにもって由々しきことだ。喝!


 シニア大学が時代の要請によって創設されたのは1978(昭和53)年。以来、35年の歴史を持つ。別表をご覧いただこう。入学生は年々増加して99(平成11)年がそのピークだった。県内全域で1879人。それが次第に減少して2012(平成24)年の今日、1241人となった。シニア世代が増加するなかで、それに抗(あらが)うように凋落(ちょうらく)傾向にあるのだ。


  「どうして? どこに原因が」と訝(いぶか)り、憂える声がしきりだ。シニア世代が少なかった時代の方が、入学生が多かったという事実をどう考えたらいいのか。


 日本の屋台骨を背負ってきた世代

 シニア大学(初期は老人大学)創設以来の35年間という世代は、日本のどんな時代を生き抜いてきた世代であったか。


 概括して言えば、この世代は戦中の厳しい思想統制のなか、原爆に遭(あ)い、敗戦を体験し、貧しさに耐えに耐え、一粒の米を拾い、消費、使い捨てとは無縁の、使って使って使い切った時代の約(つま)しい生活の申し子たちであった。戦後の復興を双肩に担い、挫折を繰り返し何とか乗り越え、自らを主張することを不得手としてきたのだった。


 繁忙と激しい時代変革のなかにあって、学ぶ機会が乏しく、「新しさ」についていけない時代を生きてきたのだった。若き日、汗まみれになって労働に明け暮れた日々を思うとき、この晴天の一日、こざっぱりとして「今日は老大です。...ほんとにこれでいいのかな」と自分に問いかけても来た。学べる悦(よろこ)びの後ろ姿は、少年少女時のようにいそいそとしたものだった。敢(あ)えて「愛(いと)しい世代」と言わせてもらおう。


 シニア大学の組織と講座編成など

 シニア大学は公益財団法人として「長野県長寿社会開発センター」を長野市に置き、その傘下に佐久・上小・諏訪・伊那・飯伊・木曽・松本・大北・長野・北信の10学部をもって構成する。受講日は学部によって多少の差はあるが、入学・卒業式を含め16〜19日。会場は地域の合同庁舎を主会場とするところが多い。

 講座編成はオリエンテーション、自治活動、クラブ活動などを含め、教養、技能、実践などの諸分野にわたって多彩だ。学習は午前(10〜12時)の部と午後(13〜15時)の部があり、合わせて約60時間前後。講師はそれぞれの専門家を招き、充実した資料が配布される。

 学部の担当者(推進委員)の応対は丁寧過ぎて気の毒なほどだ。その上、受講料は年間通して8500円。一般のカルチャー教室と比べると格安と言っていい。掛け値なしに至れり尽くせりの学習環境だ。褒め過ぎだろうか。そしてこんな話も聞く。運営事情はといえば、台所が火の車だというのだ。

(2012年12月1日号掲載)


年次:受講生(人)

99:1879

00:1800

01:1762

02:1807

03:1687

04:1741

05:1533

06:1535

07:1585

08:1469

09:1302

10:1261

11:1268

12:1241



シニア大学受講生の推移(1999〜2012)

※受講生は県内のシニア大学10学部の合計数。各学部ともほぼ同じ傾向にある

 
美しい晩年