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63 そうだ シニア大学へ行こう(中)

 残り少なくなった人生を思うとき

 こんな声をよく聞く。「古稀を迎えた。古来、稀か。そうか、年を取ったんだ...」。だが、今の私はそんな心境にしみじみ浸ってはいられない。周りを見ても、高齢者であっても暇な人は一人もいない。まだ家族に頼りにもされているし、やりかけたこともあれば、やりたいこともある。それなりに忙しい日々の明け暮れだ。


 そんなとき「ねえ、シニア大学へ行かない、とてもいいってよ」と誘われたりもする。ともあれ、残された人生が短いことは承知しているつもりだ。立派なことはできるわけもないが、まあ、これでよかったかと納得できる余生でありたいと願ってはいるのだが...。


 あれもこれもあるが、この際目をつぶって...と私の心は揺れる。シニア大へ行こうか行くまいか迷っていることも事実。忙しさにかまけていていいのかという思いだってある。気が付いた時では遅過ぎると言うではないか。私の父は少年時、家が貧しくて上級学校へ行けなかった...と、その悔しさをしばしば語ってくれたものだった。学生服に身を固め白線帽をかぶって颯爽たる、かつての旧友を見るたび、胸が締め付けられたというのである。


 新しい仲間たちと

 シニア大の在学生や卒業生たちの声。

・今までとは違った仲間ができてうれしい。年賀状のやりとりもするようになった。

・新鮮な刺激を受けるのが一番の収穫だ。同年輩なのに私よりずっと先を歩いている。どうしてこうも違うのかと、劣等感を味わわせられたりもするが、「よしッ、私もッ」と奮い立たされたりもした。「なんだ、そんなこと」と笑われるようなことだけれども。

・高齢者学級だの、シニア大だの、いきいき実践塾だのとありがたい制度ができたものだ。いい時代に巡り合わせたということか。若いころだったらシニア大だなんて、とてもとても。働き詰めに働いたあのころを思うと...感謝、感謝です。

・事務局(推進委員)の先生方、本当によくやってくれています。講座の初めに歌を歌うのはとてもいいですね。

・講師の先生方に大方は教えられることが多いのだが、講師によってこうも違うのかと思うほど。本当に目をパッチリ覚まされて、心から揺り動かされ、もっと聞きたいという講座もあれば、眠くて眠くてという話もある。「あーあ、きょうはわざわざ眠りに来たようなものだ」と言って、笑わせたりすることだってある。


 講師たちの声

 事務局でも受講生でもない、客観的な立場からの声。

・「起立ッ、礼ッ」。級長さんの大きな声が響く。シニア大生はホントに姿勢がよくて礼儀正しい。爽やかな緊張感が漂う。

・前向きだ。みんな自分の意志で来ている。役柄や立場上、仕方なくではないところがいい。一番大事なところだ。

・隣近所のお茶飲み友達でなく、まったく知らなかった人たちと知り合えたことがいい。刺激を受け、啓発されることが多いからだ。

・世代の違うところがいい。あの人は私より年輩なのに、考え方ややることに若さがある。あの人はまだ60代なのに、教えられることばかりだ。私は一体今まで何をしてきたのだろうか。

・自治会や班活動が楽しそうだ。大学の行事ではなく、班ごとでの昼食会や小旅行の企画もあるようだ。交流の輪が広がり、深まるのだという。


 心すべきは貴重な時間をやりくりし、遠路をいとわずやってきた受講生の志を裏切らないことだ。今日も良かったと、満ち足りた思いで家路に就けたらそれで十分だ。主催者と講師と受講生と三者三様の立場で、努力するということしかない。

(2012年12月15日号掲載)

 
美しい晩年