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09 北高生物班 〜班室に入りびたり 他校の班と連合組織〜

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 私は1954(昭和29)年に、長野北高校(現長野高)に入学しました。初日に生物班に入り、班室で飯を食べました。私は鳥ですが、昆虫少年あり、哺乳類にめっぽう詳しい者がいるなど、その分野では俺が一番と自負するような連中が20人ほど集っていました。


 高校は生物班のために行ったようなものです。授業以外の時間はほとんど班室で過ごし、思い出は班活に関するものだけ。同級生の顔は覚えていなくても、生物班ならOBから後輩、よその学校の生徒まで知っていました。


小松先生に憧れ

 今や高校の部活動はスポーツ系が席巻し、文化系の部は影が薄いようですが、私たちの時代はそうではなかった。当時、千曲川の東岸の高校、つまり須坂西(現須坂高)、中野、飯山南などが「生物班連合」をつくっていました。中心になって率いていたのは、下高井農林の生物教師の小松典(つかさ)先生です。


 長野県の水生昆虫についての研究論文を生態学会誌にたくさん発表している著名な学者です。私はこの先生に憧れて下高井農林に転校したい、とさえ思いました。鳥を追うよりも東大合格の方に価値があると考えているのが北高の先生方。私たちのような変わった生物班員が満足できるほどの指導をしてはいただけませんでした。


 私たちは連合に入会したくて、お願いに上がりました。学校間の競争意識も強かった当時のこと。許可は出ませんでしたが、小松先生からオブザーバー参加を提案され、ちょうど下高井農林で開催された研究発表会を見学に行きました。


 そこで、高校生と思えないレベルの高い発表にびっくり。ショウジョウバエやアサガオの遺伝に関する内容が多かったと記憶しています。発表形式も、学会での方式をまねているらしく本格的でした。


「鳥博士」の小林君

 連合の一つ、須坂西高生物班に小林隆雄君という友人がいました。私が彼を知ったのは、『毎日中学生新聞』に彼が投稿した野鳥についての記事がきっかけです。手紙を出すと意気投合し、一緒に鳥の巣を探し回る仲になっていました。


 彼はなんと小学生時代から野鳥の剥製を作っていて、その数約80種。ついでに鳥の胃の内容物まで細かく調査するという驚くべき「鳥博士」ぶりで、地域の有名人でした。背景に小松先生などの力があったと思います。


 高度な発表会に衝撃を受けた私たちは、有力な小林君にも応援を頼んで懇願し、何とか連合に加えてもらうことになりました。小林君は現在、茨城県土浦市にある真言宗豊山派大聖寺の58世小林隆成・権大僧正。檀家の皆さんから「御前様」と呼ばれる高僧になっています。


 私はますますお山の大将ぶりを発揮し、生物班の班長になったのをはじめ、東西の境を取り払って連合を「千曲生物研究会」に発展させたり、合同で北信全体のツバメの調査も行いました。信大の羽田健三先生の研究室に出入りして科学的な調査方法を学んでいましたから、この調査は後続の研究の基礎にもなり得るものです。


 あのころ、長野西高にも入会してもらいたくて使者を送りました。生徒は乗り気だったそうですが、顧問の落合照雄先生が反対して実現しなかったと聞いています。野蛮なやつらと一緒にさせたくないと思ったのでしょうか。


 落合先生も北高生物班の先輩です。同窓会で一緒になると、私たちに当時のことで怒られています。そして後輩は後輩で、ここまで苦労して入れてもらった会からの脱会を、私たちが卒業した後であっさり決めてしまったようです。

(聞き書き・北原広子)

(2013年1月1日号掲載)


写真=千曲生物研究会のメンバー(前列中央が小松先生。3列目左端が私。4列目右から3人目が小林君)


 
山岸哲さん