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10 常連投稿者 スズメの巣で新発見 鳥の権威に褒められ

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 高校1年のころだったか、たまたま遊びに行った友達の家の土蔵の軒下で、私は面白いものを見つけました。空になったスズメバチの巣に、スズメが巣を作っているではありませんか。帰宅するなり図鑑を開き、スズメの営巣場所を調べました。


 私が愛読していたのは『日本鳥類大図鑑』。巣、卵、ひなの形状から生育環境、食性や習性などなど上中下3冊にわたって、鳥について網羅した素晴らしいもの。暗記するほど読み込んだ、私の育ての親みたいな図鑑です。ここにスズメの営巣場所が並んでいましたが「スズメバチの古巣」の記述はありません。


清棲先生に手紙

 この図鑑の著者は、清棲幸保(きよすゆきやす)先生。松代藩の最後の藩主・真田幸民(ゆきもと)の3男で、東京帝国大学理学部の動物学科在学中に清棲家の養子となった元華族。日本を代表する鳥類学者の一人です。私は先生に、自分の発見について手紙を書くことにしました。中学から観察ノートをつけ、附属中の新聞に投稿し、生物班の班誌でも常連執筆者。書くのは得意でした。


 清棲先生は田舎の高校生の手紙を退けることなく、「君の発見は貴重だ」「改訂版に加える」とお褒めの返事をくださり、『野鳥』という、野鳥愛好者のための会員誌への投稿を勧めてくれました。私の意欲はますます刺激され、他に発見した2例を加えて「雀蜂(スズメバチ)の古巣へのスズメの営巣」と題するレポートを、図解と共に投稿し、掲載されました。


 学会誌ではないけれど、専門家も愛読する全国誌です。気を良くした私は、2年で「長野市北半部に於けるツバメとイワツバメの棲分けに就て」という、かなり本格的な調査について発表するなど『野鳥』の常連投稿者になりました。


 投稿にはいつも「長野北高生物班・日本野鳥の会員・山岸哲」のゴム印を使っていました。当時、高校生でこんなゴム印を作る人が私以外にいたのかどうか知りませんが、それを見て生物班の顧問と勘違いした編集部からの返信の宛名は「山岸哲先生」。いったん職員室に回されてから、私に届けられたこともありました。


 当時書いたものを読み返してみると、大人びた、ひねた文章だと思います。私は国語や作文が好きだったわけではないけれど、戦死した親父が「子どもが生まれたら読ませるように」と母に託した遺品みたいな『日本童話集』という分厚くて難しい本を擦り切れるくらいに読んでいました。おかげで、ルビだらけの古事記、日本書紀から津々浦々の童話に親しんできたのが、後の文筆活動に役立ったかもしれません。


 影響大きかった先輩

 父が残してくれたという意味でもう一つ、私が大変感謝していることに平林浩さんとの出会いがあります。教師だった父の教え子の中で特別、父に懐いていた生徒の弟さんが教育学部に入学し、折に触れて母を訪ねていたのですが、ある日、いとこだという学生さんを連れて来ました。


 鳥について大変詳しく、私はすっかり尊敬してしまいました。それが平林さんで、信大の羽田健三先生の研究室にいるとのこと。意気投合した私たちは、鳥の繁殖期にはほとんど毎週、おにぎり持参で大峰山や頼朝山、旭山に連れ立って巣探しに行きました。


 彼は当時流行だった今西錦司(きんじ)の棲み分け理論など、大人の学問の最先端を教えてくれ、鳥の縄張りについて英語の本を翻訳して読ませてもくれました。私の高校時代の投稿論文の完成度が高かったのは、平林さんの影響も大きかったはずです。

(聞き書き・北原広子)

(2013年1月12日号掲載)


=写真=高校時代に戸隠で鳥の巣を探している時の私(左)

 
山岸哲さん