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12 中学教師に 〜京大大学院受験せず 激怒した羽田先生〜

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 妙高山の先、新潟県に火打山という標高2462メートルの山があります。信大1年の夏休み、隣の焼山(2400メートル)とを縦走する生物観察会に参加した私は、ここで3羽のライチョウを目撃しました。1羽はふ化後15〜20日くらいと思われるひな。親子連れでした。


 ライチョウは1923(大正12)年に国の天然記念物、54(昭和29)年に特別天然記念物に指定された保護対象の野鳥ですが、それまで生息が確認された地域の中に火打山は含まれていませんでした。ひながいるということは繁殖の証し。貴重な発見です。私はひなを手に写真を撮りました。ひながピーピー鳴きたて、親鳥もピヨピヨと近寄って来ました。もちろん、撮影後はすぐにひなを放しました。


雷鳥の繁殖地拡大

 戻ってから清棲(きよす)幸保先生の図鑑でライチョウの食性を調べて火打山の植生と比較し、写真を添えて会員誌『野鳥』に投稿しました。すると、ライチョウの繁殖地の拡大ということで反響を呼んだようです。清棲先生が私をその年の日本鳥学会の奨励賞に推薦されたとか、それでは私がますます生意気になるのを懸念した羽田先生が反対されたとか、真偽のほどは分からないうわさが耳に入ってきました。


 締め切りギリギリまで四苦八苦する学生が多い卒論を、私は3年次に書き上げてしまいました。この卒論は、卒業後の追調査を加え「カラスの就塒(しゅうじ)行動について」としてまとめ、『日本生態学会誌』に掲載されました。学術論文としてきちんと評価されたわけで、研究者としてのスタートになりました。当時は羽田先生でさえ、生態学会誌への論文発表はなかったころです。


 そんな学生だったものですから、羽田先生が期待されたとしても無理のないことです。卒論を提出すると先生は「もう学校へ出てこなくていいから、京大大学院の入試準備をしなさい」とおっしゃいました。どうやら先生は、ご自身の内地留学先だった京大で、将来を嘱望されていた川那部浩哉さんという助手の先生に「秘蔵の弟子を送る」と話されていたようです。川那部先生からは、読むべき本のリストや勉強のアドバイスをいただきました。京大理学部動物学専攻といえば、この分野の最高峰。願ってもない進路です。私は受験勉強を始めました。


 ところが、どうしても自信が持てない。私は鳥を追うのに飽きることはありませんが、受験勉強のためにコツコツ暗記するのは嫌い。落ちたら羽田先生の顔に泥を塗ることになる。合格しても、先生の期待に沿う業績を挙げられるのか自信がなく、結果的に先生にご迷惑をかける。羽田先生との関係が深くなければ気軽に受けたと思うのですが、ついに私は受験を避けて中学教師の道を選ぶことを決めました。


赤提灯で3時間説教

 そのときの先生のお怒りは、今でも黄泉の国で目をつり上げていらっしゃるのでは、と思うくらいの勢い。現市立長野図書館横の赤提灯で「理由を言え!」「勉強に専念できる状況を整えてやったのに何だ!」と責められました。「自信がない」と言ったら、「やってみないと分からない」となるに決まっている。焼き鳥をつまみながら、ひたすら黙って3時間の説教に耐えました。


 いい加減に解放されたくて私が放った言葉は「大学院でなくても研究はできます。中学校の先生をしながら研究は続けます」。こうして私は県最南端・下伊那郡天龍村の天竜中学に理科教師として赴任しました。

(聞き書き・北原広子)

(2013年1月26日号掲載)


=写真=新卒で赴任した天竜中の生徒と(中央の詰め襟の新米先生が私)


 
山岸哲さん