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145 玄照寺 〜名建築残る禅寺の大伽藍〜

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 小布施町の名刹といえば東の山際に並ぶ岩松院や浄光寺が名高いが、長野電鉄小布施駅の南西、大島(おおじま)地籍の「玄照寺」に足を運ぶ観光客は少ない。だが地元では、4月に苗市の立つ曹洞宗の大伽藍で知られている。


 戦国時代の天正年間(1573--91)に、武田氏の松代城代・高坂弾正配下の加藤杢右衛門(もくえもん)が建立した。松代の明徳寺の末寺になる。


 松川が千曲川に注ぐ辺りだから、敷地はざっと6町歩(約6万平方メートル)にも。松川近くの松林や境内参道の古木群、果樹を植え込んだ園地もある。


 「町宝」の2層三門は寛政年間、1799年の建築で、中国の故事にちなむ人物彫刻が並び、下層には龍や唐獅子が躍る。左右には仁王さんがにらみ、扁額の「第一義」は究極の真理探究を意味する。


 県内で一番小さな町に、これほどの禅寺があるのはなぜだろう。川中島の戦いと武田氏の影響、武士文化=新鎌倉仏教の伝播をまざまざと実感する。


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 「本堂は大正時代の再建ですが、大工は"昭和の左甚五郎"と呼ばれた三田清助(さんたせいすけ=写真円内=)です」と住職の葦澤義文(よしふみ)さん。隣の須坂市出身の建築家・宮本忠長さんなら有名だが、建築に興味のある人でも"サンタさん"なんて知らないだろう。


 「渋温泉(山之内町)の著名旅館、金具屋の斎月楼を建てた名棟梁ですよ」。国指定登録有形文化財でもある重厚な4階建て、斬新でクラシックなあの建物が宮大工の作品とは! 豪華な数寄屋造りだが、軽やかなシンフォニーを思わせる名建築だ。


 「文部省唱歌で有名な高野辰之博士が編集した『旧制中学校国語教科書』には現代稀(まれ)な腕と記述され、当時は全国的に知られた人物でした」


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 あらためて本堂の威風をうかがう。大屋根は珍しい二重仕様で、両翼が軽やかに反り返る。正面の壁は、しゃれた格子模様で現代のデザインを彷彿させる=同上。


 それにも増して驚くのは、本堂内部の広さだ。善光寺内陣の丸柱を少なくしたような格天井の大ホール。太さも長さも限りある地元の松材でこれほどの空間を造るのは、よほどの発想と知恵が注がれているに違いない。庫裏に三田の設計図木板数枚が飾られているが、梁の長さに驚く。


 三田は村の大工の家に生まれたが、尋常小学校を出ただけで、寺社建築は設計図集を手本にした独学だった。


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 見ものは本堂奥の御殿造りの書院=同下。ヒノキ銘木を使った部屋で、高僧の控え床は御簾が下がり、金襴の布団や畳が目を引く。欄間や明かり窓のデザインもモダンだ。


 近代建築に通じる独創的な感性は天分と言ってよいだろう。小布施を中心に、柏原の諏訪社、湯田中の梅翁寺、飯山の真宗寺など、北信濃一帯に多くの建造物を残し、昭和初期には、新生療養所の新築も手掛けた。長寿なら非凡の名を残しただろうに、建築現場での事故で55歳で死去した。

(2013年1月12日号掲載)

 
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