初 恋 島崎藤村
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
◇

日差しが明るい。「初恋」の舞台・旧中山道の馬籠宿は、南に開けた坂の道に沿って家並みが続く。
かつては中ほどに文豪、島崎藤村の生まれ育った家があった。問屋や庄屋を兼ねた本陣だ。今はその跡に藤村記念館が建っている。
2005(平成17)年2月の県境を越えた合併以降、岐阜県中津川市の馬籠である。それまでの長野県木曽郡山口村の馬籠ではない。
もう「信州が誇る藤村」とは表現できない寂しさを覚えながら、しきりに観光客が出入りする記念館の黒塗りの門を眺めていた。
すると、ロマン薫る詩句がよぎってくる。高校生のころだろうか。何度も繰り返しているうちに、いつの間にかそらんじていた。
おかっぱ頭だった少女が前髪を上げて結い、にわかに娘らしくなる。その美しさに少年の胸はときめいた。赤いリンゴの実を介し、恋心が膨らんでいく。
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

初々しさの中に少しだけ熟れた雰囲気が漂うのは、年上の娘のませた色香だろう。隣家には「おゆふ」という、1歳年長の幼なじみがいた。「初恋」の少女のモデルとされる。
そうだとしても藤村自身は9歳で馬籠を離れ、上京した。16年後、25歳で世に送った詩集『若菜集』を飾ったのが「初恋」だ。
その間、明治学院に入学し、自由な空気と西洋文学に触れる。明治女学校英文科の教師になってからは、教え子との恋愛問題に苦しんだりもした。
時あたかも江戸から明治へ、時代は頑強な古い風潮の一方、若者たちに新たな理想を求めさせ、人間としての生き方を模索させる。
藤村も自ら進んで時流と切り結ぶ荒波に乗り出した。先輩の北村透谷と同人誌『文学界』を立ち上げ、浪漫主義の旗を高々と掲げる。
そういう意味では「初恋」は、木曽の馬籠で原型が芽生え、先駆的な文学運動の渦中で熟成した果実であった。

そんな思いを巡らしつつ、馬籠峠を越え、妻籠宿へ歩いて下った。そこは、あのおゆふさんが成人して嫁ぎ、一主婦として生涯を終えたところだった。
〔文学界〕1893(明治26)年創刊の文芸雑誌。北村透谷を中心に若い同人たちが、恋愛を賛美するなど自我の解放を唱え、詩や評論でロマン主義運動を推進した。
(2013年1月1日号掲載)
=写真=馬籠宿の藤村記念館とリンゴの実