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026 雪山讃歌 ~青春の熱情を山野に発散~

雪山讃歌

  歌詞 西堀栄三郎

  曲 アメリカ民謡


一、雪よ岩よ われらが宿り

  俺たちゃ町には 住めないからに

八、朝日に輝く 新雪ふんで

  今日も行こうよ あの山越えて

九、山よさよなら ごきげんよろしゅう

  また来る時にも 笑っておくれ



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 スキー客を乗せたバスが、志賀高原の琵琶池ヒュッテ停留所に止まった。かわいらしい車掌さんが、切符を回収しながら、何か口ずさんでいる。〈雪よ岩よわれらが宿り......〉


 僕は思わず車掌さんに聞いたのです。

 「その歌、なんていう歌? いつも歌っているの?」


 彼女は怪訝な顔をして、

 「いつも歌っているよ。雪山讃歌っていうの。いい歌でしょっ!」


 男性4人のコーラスグループ「ダークダックス」が、ヒット曲の一つ「雪山讃歌」と出合った運命的な場面だ。メンバーの一人である「ゲタさん」こと喜早哲(きそうてつ)さんが、エッセー集『日本の美しい歌 ダークダックスの半世紀』(新潮社)で、この逸話を紹介している。


 まだ慶応大学経済学部の学生だった1950(昭和25)年ごろである。スキーを楽しむために長野電鉄の電車、そして湯田中駅からバスに乗ったのだった。


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 間もなく4人はプロの音楽活動に入る。58年、「雪山讃歌」をレコーディングした。すると大ヒット、折からの「歌声喫茶」の熱気も追い風となり、大勢の人たちの愛唱歌となっていった。


 老若男女の心をくすぐるほどの歌には、必ずといっていいほど、そこに至るまでの"誕生秘話"がある。


 長野市松代町から南東へ地蔵峠を越え、さらに群馬県境の鳥居峠を経て湯の丸高原を間近にした時だった。


 鹿沢温泉の道路脇で「雪山讃歌発祥の湯」の看板が目を引く。ポツンとたたずむ一軒宿「紅葉館」の前だ。すぐ先の山際には歌碑も立っている。


 26(大正15)年1月、この地で京都帝国大学山岳部が、東京帝大の仲間も加えスキー合宿した。当初は京大ヒュッテのある新潟県妙高山麓の笹ケ峰を予定したが、雪不足で鹿沢に移動する。


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 合宿を終え、有志4人が新鹿沢に下った。ところが猛吹雪で、宿に閉じ込められてしまう。薄暗い部屋で退屈しのぎに山岳部の歌をつくることにした。英会話の授業で習ったアメリカ民謡「いとしのクレメンタイン」の曲に合わせ、思いつくままの歌詞で歌う。「雪よ岩よ...」の一番は、後の第1次南極観測越冬隊長・西堀栄三郎の発案だ。


 白銀の世界が誘うロマンと感傷だろう。今も山男や山ガールが歌い継ぎ、互いの短い青春を彩る。どこかで今日も歌声が響いている。


 〔いとしのクレメンタイン〕19世紀半ば、金発掘の夢に沸く米国カリフォルニアを舞台に娘の死を悲しむ歌。映画『荒野の決闘』の主題歌で有名になった。

(2013年1月19日号掲載)


=写真1=雪山を楽しむ若者たち

=写真2=鹿沢温泉の紅葉館

 
愛と感動の信濃路詩紀行