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京都31 百萬(ひゃくまん)〜狂気の女芸人〜

〈あらすじ〉奈良の男が西大寺あたりで拾った少年を連れて、京都・嵯峨の清凉寺の大念仏会の見物に来ると、百萬という狂女が念仏音頭を踊っている。少年は母と気付く。そこで男が女に尋ねると、夫と死別し、子どもとも生き別れ、悲しみのあまり心が乱れたと言い、子どもを探し求めて狂ったように舞う。少年に会わせると、夢かと驚く。仏の導きと感謝し、少年を連れて故郷に帰って行く。

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 昔、奈良に百萬という女芸人がおり、曲舞(くせまい)の名人だった。西大寺の大念仏会で一人息子を見失い、狂気になって探し、嵯峨の大念仏会で再会を果たした、ということが謡曲の古文書にある。この曲はそれを脚色したものだ。実際にあったことかは定かでないが、百萬は実在した女性といわれ、近鉄奈良駅近くの西照寺に墓がある。


 再会の舞台となった嵯峨の清凉寺は、「融」で紹介した源融(みなもとのとおる=源氏物語の光源氏のモデルといわれる)の山荘だった。その死後に寺となり、開祖のちょう然が中国から持ち帰った三国伝来の釈迦如来像を安置した。ここから「嵯峨釈迦堂」とも呼ばれている。


 大念仏会とは、平安後期にはやった融通念仏を集団で唱える会で、多くの人々が集まった。百萬は踊りながら、見物人に我が子の姿がないか、と探した。


 清凉寺に伝わる絵巻によると、円覚上人が1279(弘安2)年、初めてここで大念仏会を行い、「星のごとく群衆が連なった」とある。円覚は融通念仏を広く普及させ、天皇から「円覚十万上人」との称号を授かった。百萬の少年がその後、仏門に入り、出世して円覚になったという説もある。


 大念仏会は今も「大念仏狂言」となって続いている。仮面を着けた素人役者による無言劇だ。寺の西門近くにある狂言堂で、年に数回演じられている。


 清凉寺へは、嵐山の渡月橋から北へ約1キロ。訪れてみて嵯峨野の奥にしては、その広い境内に目を見張った。釈迦如来を祀った本堂を中心に、由緒ある建物、像、塚、墓などがずらりとある。主なものでは、若いころ当地で修行した法然上人の青年像、法隆寺の夢殿を模した聖徳太子殿、放生池の弁天堂、融やその父・嵯峨天皇、開祖・ちょう然、遊女・夕霧太夫らの墓石。大阪城三の丸跡地から発掘された豊臣秀頼の首塚もあった。


 変わったところでは、小野篁(たかむら)が地獄に通ったという穴道だ。その入り口の「死の六道」が東山区の六道珍皇寺にあり、出口はこちらで、本堂横にある薬師寺前に「生の六道」と刻んだ石柱が立っていた。史実と伝説が混在した、不思議な嵯峨野の古刹である。

(2013年1月12日号掲載)


=写真=清涼寺の狂言堂

 
謡跡めぐり