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57 大砲の弾 〜村民運動会の砲丸投げに〜

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 千曲市の生萱(いきがや)集落で多くの門弟や鍬を捨てた農民たちが見守る中、日本で初めて大砲を試射した佐久間象山。「...一声の霹靂天地を震わし、万樹の紅花撩乱として飛ぶ」と漢詩を作って喜んだが、その時の大砲の弾2個が今も現地に宝物として保存されている。


 1851(嘉永4)年2、3月のころ、当時、我が国最新、最大の巨砲を前後数日間にわたって試射したことから、一躍、生萱の名前が知れ渡った。


 象山が目標にしたのは、発射地点から西方2300メートルの距離にある屋代の一重山(ひとえやま)。屋代、森、倉科、生萱、雨宮が周辺にあり、一重山までは見渡す限り遮るものがなく、大砲の発射には絶好の場所だった。


 生萱で18代続く旧家で、リンゴ農園を営む島田保彦さん(67)は、4代前の先祖から受け継ぐ砲弾を所蔵している。弾の大きさを島田さん生産のリンゴ「紅玉」と比較してみた=写真。


 島田さんによると、父親の喜八さんが子どものころ、小学校の運動会や村民運動会には砲丸投げがあり、そこにこの砲弾を貸し出したという。埴科県神社も砲弾を"宝物"として保存している。


 大砲の試射は初めのうちは順調だったが、最後の発射で砲身が破裂、多数のけが人が出た。ちまたではこんな狂歌もはやった。


大砲を打ち損なってべそをかき、後の始末をなんとしょうざん(象山)


 これは島田さんの父親が残した日記に記述されている。


 狂歌といえば当時、「アアラおかしいな、おかしいな、まづこの頃のはやりもの、夷船防禦(いせんぼうぎょ)の折からに、信濃国の山奥より、山師(象山)一人いで来たり...」の戯れ歌で始まる落首「ちょぼくれ」も生まれた(「佐久間象山逸話集」)。


 象山の失敗を皮肉ったり、嘲笑する者もいたが、彼は平気だった。「燕雀安んぞ、鴻鵠の志を知らんや」(小人物は大人物の心を知り得ないとのたとえ)と思ったことだろう。

(2013年1月12日号掲載)




 
象山余聞