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10 アウグスティヌスと悪の定義 〜理解不足という穴を 理解という土で埋める〜

 アリストテレスが「善」を定義したのなら、「悪」を定義したのが哲学・神学者のアウグスティヌス(354〜430)です。


 子どもが悪い成績を取ったり、悪いことをしたり、試合などに負けたときに、強い言葉をぶつけたり、体罰を使って叱責することがあります。このやり方は、成績や行為を改善するのに効果があるのでしょうか? アウグスティヌスならば「否」と答えるでしょう。


 道路に穴が開いています。では、「穴」とは何でしょう。「穴」とは「そこにあるべきもの、例えば『土』が欠けていること」です。

悪を解決するには


 悪の定義は「穴」の定義と似ています。アウグスティヌスによれば、悪とは「(起こるべき)善が起こらないこと」なのです。この、一見簡単に見える定義が画期的だったのは、この定義によって「悪を解決する方法」についての理解が根本的に変化したからです。


 昔から、多くの人にとって、悪を解決する主な方法は、悪を行っている人を痛い目に遭わせることでした。懲らしめれば悪者は降参し、行っていた悪はなくなるように見え、悪者にいじめられていた人々は一時的に留飲を下げることができます。


 しかし、人が悪いことを行うのは、そもそも人としてなすべき「善き行為」とは何かについての理解が欠けていることが基本的な原因であるとすると、痛い目に遭わせることによって悪者が正しい方向へ変化することを期待することはできません。


 穴をなくすためには、そこに欠如している土でその穴を埋めることです。同じように、悪をなくすためには、欠けている善をそこに補うほかありません。子どもの成績の例では、「分かっていないこと(理解不足という穴)を分かるようにする(理解という土で埋める)」ということです。


 この点を理解せず、親や教師が子どもを叱る理由が、自身のいら立ちを鎮めたいということが主であったりする場合、子どもは、自分への叱責の攻撃をかわそうと身をすくめる方法へ頭を巡らしはしても、理解の不足を埋めようと努力する気持ちにはなりにくく、結果として理解の穴は広がるばかりになります。


 子どもが悪い成績や癖から抜け出るのを本気で助けようと思うのであれば、穴の中へ強い言葉や体罰という爆弾を投げ込んで、穴をさらに大きくするのではなく、「なぜできなかったのか」という理由を一緒に探すなど、「理解という土」でゆっくり穴を埋める助けをすることが必要です。それはたやすくない道のりですが、必ずや、穴だらけの道は平らな道になっていくことを信じたいと思います。

(2013年2月23日号掲載)