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14 小田切中学 〜偶然が重なった赴任 人生に決定的な意味〜

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 天竜中学の次は北信に戻り、長野市の小田切中学に赴任しました。少し慣れた5月、歓送迎会があるというので古巣の天竜中に伺ったところ、酒席で校長先生が「どうだ、川端中は?」と尋ねます。私はさっぱり意味が分からない。ただ、これをきっかけに人事の過程を知ることになりました。


 今の桜ケ岡中学、当時川端中学の理科の先生が異動を希望され、後任に私がほぼ決まっていた。ところが、この先生がとどまることになった。宙に浮いた私を裾花中学が引き受けることになったところへ、お隣の小田切中学から、山間部で人事が組めないと相談があり、町場の裾花なら先生に不自由しないから、と私を譲ったという内情だったようです。


鳥の調査に没頭

 振り返ってみると、偶然の重なったこの人事こそが私の人生に決定的な意味を持っていたことが分かります。川端か裾花に行っていたら、各種委員や研究授業などに忙殺されて鳥を追う余裕はなく、そのまま理科教師でいた可能性はかなり高いと思います。


 小田切中は、強引に2クラスにしたような小規模校。担任したクラスは18人でした。当時の私は、卒論のカラスの研究を天竜中時代に発展させ、学術的に高い評価を得ていたのですが、恩師の羽田先生との関係に悩むようになり、カラスと離れようかと考えている時期でした。


 社会人4年目で転勤。新たな道を探そうと思い、道草しながら長い山道を通って来る生徒たちに「鳥の巣があったら何でも教えてくれ」と頼みました。すると「ヤマスズメの巣があるよ」と教えてくれる子がいました。


 行ってみるとホオジロです。なるほどホオジロの多い地区で、次々と巣の報告が届き、短期間のうちに200巣ほども観察することができました。町の学校に勤めて休日の山通いでは何年かかるか分からない段階まで、一気に駆け上がったようなものでした。


 一口に鳥の研究といってもアプローチはいろいろ。私は特に鳥の社会に関心があり、ホオジロのなわばりを調べたいと思いました。鳥を広く見渡せる場所にテントを張って拠点を設け、休日はもちろん、時には学校を休んで観察を続けました。保護者から表立った文句はなく、生徒たちもテントの中の私にあいさつしては登下校していました。結局、このときの徹底した調査があって、私は研究者の道に進むことができたのです。


 小田切でいかに恵まれていたかを、さらに思い知らされたのは、次に赴任した柳町中学においてでした。有給休暇を取って北海道に鳥の調査に行って戻ったら、学級PTAで「先生、鳥も結構ですが子どもも大事です」と、小田切とは大違い。鳥を諦めないまま教師を続けるのは無理だな、と感じました。


バスケ部の顧問も

 思い出深い小田切中は1998(平成10)年に廃校になりました。そういえば、私はここで体育も受け持ちました。体育の先生がいなくて校長先生が困っているので「バスケットだけやっていいなら私がやります」と言うと、それでいいとおっしゃる。じっとしているのが嫌いな私は、バスケットの動きと究極のチームワークが大好きで指導に燃え、公認審判員の資格も取りました。


 出来たてのバスケット部が柳町中学と戦ったときは、あまりの惨状に柳中生からの応援をもらったくらいでした。それなのに、私が柳中に異動してからの練習試合で小田切中が大勝利したのです。心の奥底で盛大な拍手を送りました。

(聞き書き・北原広子)

(2013年2月9日号掲載)


=写真=小田切中学のバスケット部員と


 
山岸哲さん