
東部中学校と桐原牧神社を結ぶ住宅地に鎮座する弁天さん。昔は農道だったT字路に、小さいが本格的な瓦ぶきの社が立つ。傍らに火伏せ(防火)の秋葉社を従え、威風辺りを払っている。
旧桐原村は善光寺街から吉田村に隣接する水田地帯だった。近くを用水の鐘鋳川が東西に貫流している。市街地の用水取り入れ口や水門、分水堰には「水神」が祭られているのが通例。ここだけ「弁天さん」というのが不思議だ。
「明治の初め、廃仏棄釈の大号令が発せられた時、桐原牧神社に合祀されていた弁財天が分離されたらしいのです。私はこの土地に住んでまだ数十年の他所者で詳しいことはわかりませんが...」と区長の宮入久さん。
弁天さんといえば、上半身裸で琵琶を抱えている姿が典型。江の島(神奈川県)、宮島(広島県)、竹生島(滋賀県)、金華山(宮城県)、天河(奈良県)が全国5大弁天。県内なら、野尻湖の弁財天が有名。市内では往生院(権堂町)の弁天社が、粋なお姉さん方の信仰を集めている。

海や湖に縁があり、インドがルーツの河神でもある。美人のことを弁天娘と呼ぶ。スナックの美人ママも弁天さんだ。妙音天・美音天とも呼び、音楽、ひいては学問芸術・芸能の神様になった。
人々の財福までも受け持つ、インドでは最も尊崇される女神が、桐原ではどうして廃仏棄釈の災難に?
一つの推測だが、桐原牧神社の氏子はホトケさん、中でも観音菩薩と混同したのではないか、本地垂迹説=神仏同体説だ。ホトケさんは、衆生救済のため姿を変えて日本に現れた神様という。母のように柔和な観音さんと弁天さんはそっくりだ。
神道では、弁天=愛染明王、如意輪観音説がある。明治政府の神道国教化策(1868年)で全国が混乱した。松本の殿様は自分の菩提寺を壊し、女鳥羽川にたたき込んだ。仏教の天台宗であった戸隠寺院は寺仏・寺宝を捨て売って戸隠神社になり、院坊の住職は神主になった。天台・浄土の善光寺さんも存亡の危機だったが、宮中に深い縁があるお上人さま(大本願)の機転と運動で廃寺を免れた。
「ただいま、『桐原区誌』を編さん中でして、いずれその辺の事情も明らかにされると思います」と副区長の山岸亨さん。

日照りと水不足・水争いに悩んだ区民が、弁天社近くに巨大なため池を造成したのは1918(大正7)年。3カ月の突貫工事だったという。名付けて「弁天池」。現在は本久デイツーの北西に駐車場と遊水地になっている。市の都市計画では、周辺を拡張整備して緑地公園にする構想だ。
(2013年2月2日号掲載)
=写真1=民家の庭に食い込んで立つ弁天社
=写真2=江島神社の妙音弁財天