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15 信大助手に 〜羽田先生が白羽の矢 認められた研究論文〜

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 柳町中学勤務時代、恩師の羽田健三先生から、信大教育学部助手のポストを持ちかけられました。指導教官が自分の元教え子を、事実上独断で国立大学の教員に就けるなどということは今はできません。当時は羽田先生のように学者にしては珍しく政治力も押しの強さもあると、言い方は悪いがやりたい放題みたいなところがありました。助手として2、3年手伝わせ、また学校現場に戻すということを繰り返しており、私にも白羽の矢が立ったのです。


喜べないオファー

 大学の助手は研究者への出発点です。ただ、羽田先生のおっしゃる助手には、別の意味がありました。自然教育に力を注いでいた先生は志賀高原に信大自然教育園を造っており、自然観察路の整備など管理業務をする人材が欲しかったのです。積雪5メートルになる現地に家族共々住み込むという条件もあり、小田切中学時代に結婚して息子が2人いた私が、喜んで呑めるオファーではありませんでした。


 私は助手になったら中学教師には戻らないという、前例のない条件を出しました。これにはいろいろな意味があります。教師に戻るなら、志賀の山の中で時間を無駄にするより生徒と過ごしたい。なるなら、研究者になる強い覚悟で行く。一人前の研究者になれば恩師への報いにもなるが、研究は管理人業務をしながらできるほど甘くないことも分かっていました。


 ちょうどそんな時期を見計らうように、決断を後押しする出来事がありました。小田切中学時代のホオジロの研究を基に書いた論文の反響です。


 後に私が所長になるなどとは思いもしなかった山階鳥類研究所の2代目所長をされた黒田長久という先生がいらっしゃいます。黒田節で有名な福岡藩・黒田家15代目の当主で、高名な鳥類学者です。この先生が山階で鳥の研究雑誌を発行しており、私はここにホオジロの縄張りの内部構造についての論文を投稿しました。


 英語の論文で、はっきりいって下手。ただ、非常に幸運だったのは、黒田先生はちょうど入院中で暇だったとみえ、下手な論文を丁寧に読んでくださったのです。中学教師だからと見下すようなことはなく、内容で評価する公平な方であったことも幸いでした。「面白そうだが、キミの英語は分からないから日本語で書いてくれ」との屈辱的な返事がありました。恥をしのんで日本語で再送すると、先生は病床で英文を手直しどころか、ほとんど書き直してくださり、雑誌に掲載してくれました。


ブラウン博士も評価

 この論文を、ブラウン博士という動物行動学者が見つけて高く評価し、アメリカの教科書に1ページ引用されたのです。私はどちらかというと保守的な日本人ですが、このときは師弟関係や人脈がなくても実力で評価するアメリカ人に感心し、感謝しました。研究者として一生やっていけるのではないかというかすかな自信が生まれたことは確かです。


 英語について、私は附属中の先生に今も多少の恨みがあります。附属の先生方は優秀ですから、終戦間もない時期に英語の重要性を見抜いていたのは素晴らしいのですが、英語学習の目的として生徒に説明したのは、東大合格のため。この言い方は、私の解釈では「東大に行かないなら重要ではない」です。だから、真面目にやらなかった。「鳥の研究者になるために英語は絶対必要」と言ってくだされば勉強したはずです。後に大学で教えるようになってから、学生に内緒で英語の学校に通うはめになりました。

(聞き書き・北原広子)

(2013年2月16日号掲載)


=写真=来日したブラウン博士夫妻と(1986年7月)


 
山岸哲さん