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22 北国街道 皆神山 〜初峯入りは天台修験の拠点〜

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 巳の年を迎え、初峯入りは松代町の皆神山登拝である。大室地区から鳥打峠を越え、表参道から登頂し豊栄地区の山伏の寺・万行寺跡まで歩く。


 寒入りの1月11日、金井山でバスを降りる。上信越自動車道の下を抜け、西に進むと鳥打峠入り口だ。この峠はかつて北国谷街道の要所であった。ゆっくりと足を運び、峠で小休止。目線は東南の山稜にある。鞍部は可候(そろべく)峠と呼ばれ、江戸時代に鳥打峠が開かれるまでは北信と東信を結び、上杉謙信も度々往来していた。坂道の形が草書体の「そうろうべく」に似ていたことからその名があるが、今は人跡が途絶えて杉林の中に没している。


 なだらかな坂を東寺尾に下り、皆神山(660メートル)を目指す。皆神山は東・西・中の3つの頂を持つ独立峰である。江戸時代には皆神山和合院が信濃の山伏250余人を従え、天台系修験の拠点として隆盛を誇っていた。


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 東条に入ると、大日池の奥に悠然と立っている2本の大杉が目に付く。ここが皆神山の玄関口で、いよいよ峯入りである。松井の泉の霊水で心身を清め、凜とした寒気の中、大日堂で一日の無事を願い般若心経を奉誦。


 現存する丁石を数えながら、静寂が支配するクヌギ、コナラの木立ちの中を登る。往昔、法螺(ほら)貝を吹き、「六根清浄」と唱えながらここを馳けた山伏たちの息遣いが伝わってくる。古代史の謎を秘めた小丸山古墳遺跡を経て、間もなく皆神神社随神門=写真下=に到着。ここには「皆神山十八丁」と刻された最後の丁石がある。


 皆神神社は、侍従大神(じじゅうおおかみ)、熊野出速雄(くまのいずはや)神社を含め皆神山に鎮まる数多くの神々を奉祀(ほうし)している。侍従大神社、熊野出速雄神社と参拝し、中の峰の山頂に進む。北に大きく展望が開け、富士浅間神社に写経を納誦。眼前には、冬本番を迎えた北信五岳に囲まれて千曲の銀蛇が大きくうねっている。「ここは私の原郷、南無神変大菩薩」。修験の霊気に包まれての昼餉は楽しい。


 名残を惜しみ、裏参道を万行(まんぎょう)寺跡へと下る。途中で万行寺を中興した宥良(ゆうりょう)法印の墓に立ち寄り、遺徳を偲び不動明王真言を読誦。供養の山伏石を経て、平林の諏訪社の隣が万行寺跡の相沢家である。


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 万行寺は和合院に属し、室町時代から明治初期まで300年以上の山伏の法統を守ってきた。ご当主の相沢芳子さんは「『建久3(1192)年』の銘のある阿弥陀如来銅像をはじめ諸仏像が長男政寿(まさとし)に引き継がれ、先祖の遺徳を偲んでいる」と深い想いを語った。手厚く奉置されている諸仏に、思いがけない出合いを感謝して般若心経を読誦。


 新春の一日を祈りの山、皆神山で過ごせた法悦に浸りながら帰途に就いた。


 次は大町街道から七二会の地蔵峠を訪ねる。

(2013年2月9日号掲載)


=写真=松代町の中にどっしりと構える皆神山

 
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