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京都33 西行桜(さいぎょうざくら) 〜和歌を脚色〜

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 〈あらすじ〉 京都・西山の桜は今が満開。西行が庵室で静かに眺めていると、花見客がやってきた。仕方なく招き入れ、「花見んと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜のとがにはありける」と詠み、花見客が群れを成しやってくるのが、桜の唯一の欠点だ、と指摘する。その夜、桜の下で寝ていると老人が現れ、「無心の桜に浮世の罪はない。自分は桜の精だ」と言い、論争の後、一緒に春の夜を楽しむ。明け方、西行は夢から覚める。

     ◇

 この謡曲は、西行法師の歌集『山家集』に載っている和歌を世阿弥が脚色した。「花の精を若い女性とせず老人としたのは、春の華やかな気分の中にも、閑静な情緒を持たせたいためだろう」と謡曲本は解説している。


 西行は著名な平安末期の僧侶・歌人。『山家集』のほか、勅撰和歌集の『千載和歌集』『新古今和歌集』などに多くの和歌を残している。出家する前は、佐藤義清(のりきよ)と称した、鳥羽院を警護する北面の武士。文武両道に優れたエリートだった。それが23歳の若さで、なぜ妻子をも捨てて出家したのか。後世様々に推測されているなかで、鳥羽上皇の中宮である待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)との不倫説が有力だ。


 年上の璋子に魅せられ、一夜を共にしたものの、「これっきりよ」とすげなくされた。それがうわさとなり、居られなくなった。昨年のNHK大河ドラマ「平清盛」では、清盛の親友として義清(藤木直人)が登場し、不倫説を暗示していた。


 その義清が出家した場所が、謡曲に出てくる「西山の庵室」のあった勝持寺だ。同寺は「小塩(おじお)」で紹介した小塩山中腹の十輪寺近くにある。ここで「西行」と改名し、その時に植えた一本の桜が「西行桜」と名付けられた。桜は今では100本にも増え、「花の寺」とも呼ばれている。


 私が訪れた時は初夏で、桜は散って緑一色だった。何代目かの西行桜が境内の鐘楼の傍に植わっており、前に案内板や謡曲史跡保存会の駒札が立っていた。出家で髪をおろした時に使ったという鏡石や姿見池もあった。


 西行はその後、吉野山など各地で草庵を結び、全国を行脚した。この間、親交のあった藤原俊成らにせっせと和歌を送り、後世に残した数は1000首を超え、これまでに全国で建立された歌碑は140基を超える。自然と人生を深く見つめた歌風は800余年の時を超えて、今も人々の心を捉えている。


 璋子の美貌に惑わされず、武士のままでいたら、どうなったか。源平盛衰の渦中に巻き込まれ、散っていたかもしれぬ。人間の運命は分からない。

(2013年2月9日号掲載)


=写真=勝持寺の境内

 
謡跡めぐり