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58 生萱村への書簡 〜心遣いがうかがわれる〜

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 千曲市の田沢佑一・市議会議員(64)=雨宮=は、佐久間象山が大砲の試射後に村役人に出した書簡を所蔵。茶掛け(茶室の床に掛ける軸物)に仕立ててある=写真。


 象山が41歳の時、1851(嘉永4)年に生萱(いきがや)村役人宛てに出した手紙で、およそ250字。田沢さんによると、同村の旧家が所有していたが、没落して手放した際、田沢さんの先祖が買い求めたという。


 最初の試射が済んでから象山は、生萱村の役人に大砲を預けた。手紙は、元県立歴史館史料調査委員で元長野市文化財保護審議委員の関保男さん=安茂里=に解読を依頼した。現代語訳は次のとおり。


 このたび、門人たちが大砲の稽古撃ちを、そちらの村(生萱村)でするにあたっては、何かと厄介に相成りましたこと、身に余ってありがたく存じます。2、3日中に、またまた試し撃ちをする予定です。


 このことについて、御筒(大砲)は、村番たち一同へ、それぞれ関係の御役筋から申し渡すように取り計らうべきですが、それでなくても村の厄介になることですので、なるべく手数も減らしたく思います。


 そしてまた、御筒はもとよりお上(殿様、藩)の物だということは明白なことですから、若者や子どもたちに至るまで、大切なことは承知しているはずです。左様なわけですから、特別に立ち番や夜番など、つけることはしなくとも、狼藉がましいことはしないと思います。


 よって、私から村役人へ頼み、其の地(生萱村)内に滞在して、折々心付けるようにしたいと思います。なお、明日は、人を差し出して御筒の回りに竹垣でも結わせ申す予定です。以上。佐久間修理


 生萱村役人中

 関さんは「この手紙で見る限り、生萱村の人々に対する象山の心遣いがうかがわれる。『倣岸不遜』とか、『悪魔象山』と呼ばれた-などという俗説とは異なった象山像が浮かび上がってくる」と話している。

(2013年2月9日号掲載)


 
象山余聞