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01 スパルタ教育 〜人間としての成長を犠牲にした典型

 今度のコラムで扱おうと考えていることの一つは、古今東西に見る様々な教育についての解説です。

 「スパルタ教育」という言葉をご存じでしょうか?「わが家は、ビシバシと子どもにスパルタ教育を施しています」などと、厳しい教育一般を指して使うことが多いようですが、語源は紀元前のギリシャにあった国の名です。


 当時のギリシャには、いくつもの都市国家が並び立っていましたが、その中でアテネなどと並んで力を持っていた国がスパルタです。スパルタは征服した先住民を奴隷として農業に従事させることで成り立っている都市国家でした。人口比はスパルタ市民1人に対して奴隷は9人という割合です。


 そのため、奴隷が市民に対して反乱を起こすことを抑える必要があり、市民の子どもたち(主に男子)は、全員軍人になることが期待されていました。このような国家戦略として採用された教育方式がいわゆる「スパルタ教育」です。


 「国を守る軍人として育てる」という目標の下に、子どもたちは生まれてすぐ、長老たちによって検査を受けて体力を吟味され、虚弱児と判断されるとアポテタイと呼ばれる崖から海に捨てられました。また、その検査で生き延びた子どもたちも7歳になると体罰を含む過酷な軍事訓練を受け、軍人として役に立ちそうにないひ弱な子どもは殺されていきました。


 軍人をつくるための教育ですから、知性の教育よりも身体的訓練(後にオリンピックの競技種目となった競走、レスリング、円盤投げ、やり投げなどを含む)が重要視され、上官の命令に文句を言わずに従わせるために、自由な発想を促すような精神の養育は軽視されました。そのような結果として、スパルタはひとときの黄金期はあったものの、後世に残す知的遺産はないまま歴史の流れの中に消えていきました。


 スパルタ教育は「教育とはいったい誰のためのものであるのか」という問いを後世に投げ掛けています。勉強しない子どもたちを勉強に駆り立てるとき、「あなたのためを思って厳しくしているのよ」と言うことがありませんか? そんなとき、子どもたちが鼻白むのは、そのせりふの裏に別の目的、例えば「出来の良い子どもを自慢したい」「子どもが勉強できないことで自分が不安を感じたくない」など親の側の目的を感じ取るからかもしれません。


 スパルタ教育は国家存続という目的のために、子どもたち一人一人の人間としての成長を犠牲にして行った教育の典型です。「スパルタ教育」という言葉を使いたくなったら、「誰のために私は子どものお尻をたたくのか」をよく考えてみてください。

(2012年5月26日掲載)