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04 〜地附山地滑り災害が発生〜

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 1964(昭和39)年、県企業局によって、地附山の山麓を経て戸隠に至る観光有料道路「戸隠バードライン」が開設された。その約10年後の73年から、道路構造物を中心に変状が発生した。


 その変状は81年からさらに著しくなったことから、県企業局は地質調査コンサルタント会社の(株)中部地質に調査を依頼した。この調査報告書に基づいて、県企業局は82年にアースアンカーや排水溝などの対策工事を実施して、変状はいったん収まった。


 ところが、翌83年9月の台風10号により、長野市が記録的な豪雨に見舞われた後、再びバードラインに変状が認められた。そこで、県企業局は応急対策工事を施すとともに、新たに明治コンサルタントに調査を依頼し報告を受けた。


 しかし、抜本策が講ぜられることなく、84年から85年夏にかけて地附山一帯では斜面の亀裂、陥没、崩落、路面の段差の広がりなどの変状が際立つようになった。


 特に85年6月8日から7月15日まで37日間にわたる梅雨による降水量は平年の3.3倍にも達し、各地に被害をもたらした。そのため、7月12日からバードラインの地附山山腹部分2キロほどは全面通行止めになった。


 その後、7月20日の深夜から21日未明にかけ、湯谷団地裏山の地附山斜面の崩落と泥流により、湯谷団地自治会長の判断による深夜の避難呼び掛けで団地住民は恐慌状態に陥った。21日1時過ぎ、団地グラウンド周辺の132世帯4333人が湯谷小学校に緊急避難した。2時30分、長野市は柳原市長を本部長とする災害対策本部を設置し、4時から5時にかけて泥流の状況調査を行った。


 22日に湯谷団地住民は県企業局に緊急対策を要請し、24日には代表が吉村午良知事に緊急対策の実施を陳情、湯谷団地自警団を結成した。団地内の50歳未満の男性45人が、4人1組でパトロールを始めた。


 大崩落のあった7月26日、地附山一帯は県の地滑り対策委員会の下で、観測機器を駆使して24時間監視態勢下にあり、湯谷団地の一部世帯には16時30分、避難指示が出されていた。


 そして17時ころ、地附山の南東斜面で大規模な地滑りが発生した。その規模は幅約500メートル、長さ約700メートル、深さ最大約60メートル、表面積約25ヘクタールに達し、動いた土の量は約36万立方メートルという膨大なものであった。

(2013年3月9日号掲載)


=写真=押しつぶされた湯谷団地の民家