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05 〜「松寿荘」のお年寄り犠牲に〜

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 1985(昭和60)年7月26日の地附山地滑りは、まず展望台付近の緑の山腹が横一線に裂け、その下の部分が土煙を上げて崩落し、一部が湯谷団地北部に迫った。同じころ、湯谷団地から見て西の斜面上に土煙が上がる。土塊が動き出し、中央部が湯谷団地南西部に向かって地滑りを始めた。


 やがて団地の家々が崩壊する土砂に襲われていく中で、16時30分には湯谷団地および湯谷の272世帯、863人へと避難指示が拡大された。


 その後、展望台団地・上松・滝の一部へと避難指示は広がり、総避難世帯数は605、住民数は1932人に上った。そのうち、1000人以上の人たちが、それぞれ近くの湯谷小学校、城山小学校、長野高校の体育館などに避難した(『真夏の大崩落 長野市地附山地すべり災害の記録』より)。


 地附山地滑り災害で最も悲惨だったのは、26人の犠牲者を出した老人ホーム「松寿荘」であった。それは、関係者のほとんどが崩落の危険を予想せず、避難指示が出されなかったからである。17時ごろ夕食を済ませた、寝たきりのお年寄りを含む198人(入院などの外出者2人を除く)の入所者は、地附山西部斜面からの大崩落の土砂に巻き込まれ、1号棟から5号棟まで5つの収容棟が全壊した。


 崩落直後から翌27日午後に至る救出活動の結果は、死者5人、行方不明者21人であった。その後7日間、県警レスキュー隊を中心とする不明者の捜索活動が続けられ、次々とお年寄りの遺体が収容された。8月1日午後、最後の遺体が発見された。


 同年11月7日現在、地附山地すべり災害長野県対策本部が発表した松寿荘を含む人的・住居などの被害は次のようであった。


 (1)人的被害

 死者26人 重傷1人 軽傷3人

 (2)住居被害

 全壊 50棟47世帯157人、松寿荘5棟

 半壊 5棟4世帯14人 一部破損 9棟9世帯32人


 被災者の会による損害賠償請求の提訴から10年後の1997(平成9)年6月27日、長野地方裁判所で判決があった。その要旨は「バードライン設置に瑕疵(かし)はなかったが、県は道路周辺の排水設備の不備や斜面の不安定化が明白になってからも、改善せずに放置した結果、地滑りを引き起こした」として、管理の落ち度を認定。原告の訴えを全面的に認め、県に原告全員に対し総額5億400万円余を支払うよう命じた。


 (注)地附山地滑りの復旧工事の財政負担は主として県と国の負担ではあったが、長野市の負担も5億5000万円以上に上った。さらに松寿荘の移転、新築費を加えると大きな負担であった。

(2013年3月16日号掲載)


=写真=押しつぶされた「松寿荘」