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08 アリストテレスと善き行為2 〜訓練と習慣化

 何か「善いことをしよう!」と思っても、頭では分かっているのに、なかなか実行できない、ということはありませんか?


 例えば、朝、もう30分早く起床すれば、慌てて朝食をとって不消化を起こして気分が悪くなることも、忘れ物をしたりすることもなくなり、一日がスムーズにスタートできると分かっているのに、明日からやろうと考えて何カ月も過ぎる、というようなことです。


 アリストテレスは、善を行うには精神の「訓練」と「習慣化」が必要であると説明しています。


 マラソンに参加するため、走る訓練を始めるとすると、最初は数分走るだけで息が切れてしまったり、筋肉痛になったりして、参加するなんてとても無理、とがっかりします。しかし、走るごとに体がゆっくりと慣れてきて、いつの間にか訓練を始めたころには不可能としか思えなかった距離を、苦もなく走ることができるようになります。


 精神のありようも同じように、訓練によって「習慣化」されて、初めて行いたいと思う「善いこと」を無理なく実行することができるようになるのです。


 廊下にごみが落ちているのを見つけた時、さっさと体が動いてごみを拾うことができる人がいます。それに対して、自分は「拾った方がいいかな〜」と思っても、すぐに体が動かない。何が違うのでしょう。その違いは、さっさと拾う人の場合、それまでに、ごみを「何度も繰り返し」拾っている、ということです。最初は、「面倒くさい」というような、少なからざる心の抵抗があったとしても、その抵抗を乗り越えて何度もごみを拾っているうちに、ごみを拾うという行為が習慣化し、心が何の苦も感じずに拾うことができるようになったのです。


 子どもたちに「早起きという善」を行わせたいと思っても、アリストテレスに言わせれば、一度で早起きができるようになることはあり得ません。布団にしがみつくような、最初のうちの様々なお子さんの抵抗にめげずに、毎日繰り返し、起きることを助け続けることによって、最初のころの大変さがうそのように早く起きることができるようになります。そして、そのような心の「訓練」と「習慣化」こそが、子どもたちの「人格」を形成することになるのです。


 訓練と習慣化には時間がかかるだけでなく、それを習慣化したいという覚悟が要ります。親である我々も、今後どのような行為を習慣化したいと思うかを、一度ゆっくりとひるがえってみつつ新しい年を迎えることにしてはいかがでしょう。


(2012年12月23日掲載)