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18 大阪市立大 〜認めてくれた羽田先生 博士論文執筆に懸命〜

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 1975(昭和50)年、幸い公募に受かって私が大阪市立大理学部講師になることを羽田先生は意外にもあっさりと認め、「世の中は寄らば大樹の陰。のれん分けだ」と喜んでくださいました。大阪市大には、吉良竜夫という植物生態学の大物教授がいらしたからです。


 私はここで、鳥の研究者として博士を出すことのできる日本で初めての指導者になったのですから、羽田先生にとっても好都合です。のれん分けの言葉通り、先生の教え子が何人も私の元へ送り込まれてきました。


需要少ない鳥の研究

 私より上の世代の鳥類学者はどうしていたかというと、大学に就職先がないのですから海外へ頭脳流出です。それが私の一世代上で、さらにその上になると生活の心配のない公爵や子爵の方々の独壇場。人間生活に直接関係のない鳥の研究は、日本では大学に根付かずに発展してきた経緯があります。


 魚や昆虫にも似たところがありますが、魚は人間の食べ物としての実用性から水産試験場などがありますし、虫は農林業の害虫という面から研究が欠かせず、鳥よりは需要があります。私が鳥類学で大学に就職でき、一線で活躍できたのも時代状況と無縁ではありません。所属は生物学科の動物社会学研究室でした。


 さて、私は学位論文を仕上げる前に大学教員になってしまったので、帰宅後は論文執筆に懸命でした。博士論文のレベルになると科学的な理論を導き出さなければなりませんから、行動を子細に観察して記述する動物行動学から、生態学に踏み込むことになりました。生態学の中でも、私の学位論文の指導教官で京大の川那部浩哉先生は、様々な生物がどのようにつながり合っているかを見ていく群集生態学が専門ですが、私の関心は個体群生態学でした。


 例えば、昆虫やある種のネズミなどは、数の変動が非常に大きいことが知られていますね。その差は時に2000倍にもなります。たまたま条件に恵まれて餌の量が増えると数が著しく増加し、逆になると減るからですが、高等生物では変動が十数倍と桁違いに小さい。小鳥もその仲間です。なぜでしょうか。


 人口安定化のメカニズムをホオジロで見ていくと、縄張りの役割が大きいことが分かります。縄張り内のつがいのどちらかが死ぬと、縄張りの隙間で何とか生きていた独身の個体がすぐに入って縄張り自体はそのまま維持されるのですから、すめる数にはおのずと限界があるわけです。このように特定の種類に絞って数と環境の関係を見ていくのが個体群生態学です。


 一行も書けずに悶々とした夜も多かった論文で77(昭和52)年に京大で理学博士号を取得すると、私はまた鳥を追いたくなり、目を付けていた大泉緑地という公園を調査地に決めました。大学と自宅の間にあるのも便利ですし、付近に百舌鳥(もず)という名の駅があるだけあってモズの豊富な生息地だったのです。


モズの調査に没頭

 ホオジロを調査した小田切も、千曲川の河川敷もそうですが、私は調査地を探す能力には自信があります。小さいころから山で鳥を追っていた経験が、理屈抜きの感性を鍛えてくれたと感じます。いい調査地を見つけたら、調査の半分は成功したようなもの。まだ駆け出しの講師ですし、指導する学生も少なかったので、私はモズの調査に没頭しました。大学院に進まなかった私にとって、それに匹敵する期間だったと思います。この時のモズたちは、私を次のステップ、国際舞台に運んでくれました。

(聞き書き・北原広子)

(2013年3月9日号掲載)


=写真=大泉緑地でモズを調査

 
山岸哲さん