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20 共同研究 〜多分野の生物学者で 格段に広がった視野〜

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 鳥の研究者の私が、野鳥の負担にならない重さの足環を付けたり、DNA検査のわずかな血を採るのは、まだ許されます。でも、もっと知るために多数の野鳥を殺して解剖したいと言ったら、動物愛護団体から非難ごうごうでしょう。鳥の研究にはかなりの制約があります。


 それを強く意識したのは「生物の適応戦略と社会構造の研究」という、多分野の生物学者による共同研究に参加した時でした。霊長類の伊谷純一郎先生、河合雅雄先生、昆虫の日高敏隆先生、伊藤嘉昭先生、魚類の川那部浩哉先生、哺乳類の小野勇一先生など、分野ごとのトップの方々に交じって、私が鳥班の班長になりました。3年にわたるこの文部省の大型プロジェクトが始まったのは1983(昭和58)年。私は47歳。研究者として最も充実する時期でした。


他の調査方法に驚き

 ここで魚の調査方法を見て仰天しました。個体を識別して行動や社会を観察するのは同じでも、観察が終わると一網打尽にして、餌を調べるために腹を割き、口の形などことごとく調査するのです。生物がどう生きるかは形態に反映されているので、解剖でそれを見ることができるか否かは研究の発展を決定的に左右することを目の当たりにしました。


 次の驚きは哺乳類班の研究発表。縄張りをつくって土地に居付く鳥では、観察の中心は縄張りの主の雄ですから、発表の際は当然雄が太線で雌は脇役。ところが、雄は放浪して雌が社会の中心の哺乳類は、反対に雌が太線。目からうろこでした。鳥を生物学の一分野として位置付けるようになり、私の視野は格段に広がりました。  


 鳥とほかの動物との共通性と特異性を知ることができ、大型プロジェクトの運営を経験し、新たに広がった人脈も総合すると、山階鳥類研究所を率いることになる伏線が、この時の共同研究だったと思います。古巣の志賀高原自然教育園に米国のブラウン博士、英国のクレブス博士らを招いて鳥班のシンポジウムを開催できたのも成果でした。


 この共同研究には日本的な背景がありました。自然科学なら研究者の主観が入り込まず、時代状況にも影響されないというわけでもない、という例にもなると思います。


 当時、動物行動学は「利己的遺伝子」という理論に席巻され始めていました。大ざっぱに言うと「生物は遺伝子が生き残るための行動が選択される」というものです。例えば、自己犠牲的、利他的に見える行動も、実は全て自分の遺伝子を残すための戦略だというわけです。 

日本の生物学目指す


 私はこういう単純な理論は好きで納得できるのですが、利他的行動を良しとする価値観が強い日本では、生物学者の間でも異論がありました。欧米の理論に屈しなくても、日本には日本の生物学があるはずだとの考えが共同研究を促したのです。


 鳥ですとオナガが、自分のでもない子育てを手伝うことで知られていました。私は誰がヘルパーかを調べることで手掛かりを得ようと、大学院生を動員して調査し、まだ繁殖できない親族の雄がヘルパーであることを明らかにしました。同じことは社会性昆虫の働き蜂で起きていました。


 親族には共通のDNAがあるので、遺伝子を残すには合理的な行動です。繁殖できるようになると、お手伝いは放棄して自分で繁殖することも分かりました。他分野でも日本独自の生物学への道は開かれず、できれば否定したい説を補強するという皮肉な成果を得ることになったのでした。

(聞き書き・北原広子)

(2013年3月23日号掲載)


=写真=志賀自然教育園でのシンポジウムの際に(前列右端から私、クレブス・ブラウン両博士)

 
山岸哲さん