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022 フィレンツェ ラファエロ 〜癒やされる優美な聖母絵〜

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 今の時代でもイケメンで通ったであろう、ルネッサンス期の絵画界のプリンス、ラファエロ・サンティオ=写真上。37歳で夭折し、皆に愛された男にも弱点があった。


 彼の描くマドンナ・聖母は、その優しい表情とぬくもりを感じさせることで、世界の美術館でも人気の的だが、ピッティ宮殿2階のパラティーナ美術館に収められた代表作の「小椅子の聖母」=同下=は別格。円形画は当時流行したトンドといわれるものだ。


 彼は酒樽のふたを利用している。この作品の聖母のモデルには二つの説がある。


 その一、たまたま地方を通りがかった時、天使のように美しい3人の母子を見て心を打たれた。画材道具を持ち合わせていなかったので、有り合わせの道具で手元にあった酒樽に描いた。


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 その二、彼の伝説的な恋人として知られるパン屋の娘フォルナリーナ。若くて美しい彼女は、彼のアトリエでたびたびモデルになっている。


 共にラファエロにはありそうな逸話だ。

 彼が見初めたのはフォルナリーナ。そして知人の枢機卿の姪を婚約者として承認したものの、結婚を数カ月もずるずる引き延ばしたのは今でも謎とされる。


 一つには、彼の枢機卿の地位への憧れと野心。未婚のままの方が好都合だったとか。


 今日、ルネサンス期の人物の記述がつまびらかなのは、当時の画家・建築家である伝記作家のおかげだ。ジョルジュ・ヴァザーリ。彼は大著『ルネサンス画人伝』で、ラファエロの人となりなどを次のように記している。


 「優雅、勤勉、美、謙遜、そしてあらゆる悪徳、あらゆる汚点をも細大漏らさず覆ってしまうほどの良き品性が付随していた」と絶賛している。モテ男で周囲の女性が放っておくわけがなかった。ヴァザーリは、こうも触れている。


 「ラファエロは密かに女遊びを続け、度を越した放蕩に耽っていた。そしてあるとき、ふだんにも増して不節制の度を過ごしたために、帰宅するや高熱を発した」


 これに対して医者が取った処置は、当時の瀉血(血を抜くこと)だった。みるみるうちに衰弱したラファエロは、生まれた日と同じ37回目の誕生日に息を引きとった。


 しかし彼の残した優美な聖母・マドンナの絵は、今日でも女性たちの心をわしづかみしているようである。拙宅の居間には、フィレンツェで求めた「小椅子の聖母」の原寸大のレプリカを飾っている。見るたびに、穏やかな聖母の表情に癒やされる。

(2013年3月23日号掲載)

 
ヨーロッパ美の旅