門付け唄 《庄内節》
遠く離れて逢いたいときは 月は鏡になればよい
月はまんまるさゆれておれど 主に逢わなきゃ しんの闇
切れたからとてたよりをしゃんせ いやで別れた末じゃない
◇
綿のような雪が、絶え間なく舞っている。雁木に覆われた通りに、三味線の音が響いた。手馴れた撥捌きに合わせ、張りのある澄んだうたごえが続く。
梅か桜か 蓮華の花か
どこへ行きやる都のサー

さる2月9日、新潟県上越市の高田で、かつての盲目の女旅芸人、瞽女さんの芸の一端を再現した場面だ。
瞽女の旅姿に扮して三味線を抱え、歌いながら行くのは、瞽女唄を継承する三味線奏者、民謡歌手の月岡祐紀子さん(東京)だ。
同じように端が湾曲した「つま折れ傘」をかぶり、雪国の防寒着である「角巻き」を羽織った地元の女性2人も連れ立って歩く。
そうだった。目の不自由な瞽女たちは3人あるいは4、5人で一組となる。いくらか視力のある人が先頭に立ち、道中の案内役を担うことも多かった。
風呂敷包みを背負い、片手で杖を突き、もう一方の手をすぐ前の人の肩や背に添える=写真下。着物の裾をはしょって蹴出しにわらじ履きだ。
高田瞽女の場合、上越地方はもちろん北国街道や飯山街道沿いに飯山、長野、上田、佐久など旅の目的地は信州でも広かった。

昭和30年代末に途絶えるまで年間300日は旅に費やした。信州番と呼ばれるものがあったほどだ。さらには群馬県の高崎方面にまで足を運んでいる。
1995(平成7)年発行の『飯山市誌』に瞽女さんの芸に接した市民の体験談が登場する。9月から10月ごろ「毎年いろいろな組が何回も来た。門付けをしては一軒一軒から少しずつの米をもらって歩いた」
軒先から軒先を回っていく際に歌うのが門付け唄であり、ごく短い。村々の地主・庄屋の家が瞽女宿となり、食事も部屋も無料で提供される。この瞽女宿で演じる「葛の葉子別れ」「山椒大夫」「石童丸」といった本番が、詰め掛けた村人の感涙を誘うのだった。
延々と長い演目の瞽女唄であっても、視力を欠くからには文字では覚えられない。先輩の親方と起居を共にし、幼いころから口伝えで記憶するしかない。
三味線も、親方が弟子の背後から手を重ねて指に覚えこませる。日々の暮らしの合間合間に寸暇を惜しみ、体得していくのだった。
月岡さんの瞽女唄ライブを聴き終え、帰りのJRの列車から信越県境の闇深く雪の山野がとけ込んでいく光景に見入っていた。
でも、寒々しい感じは全くわいてこない。人と人が交わるぬくもりを素直に、信じることができたからだった。
(2013年3月2日号掲載)
〔雁木〕冬の間、雪国の歩行者通路を確保するためのもの。軒先から張り出して作る。各家が私有地を提供する「譲り合い・助け合い」の伝統を象徴する文化遺産だ。
=写真1=瞽女の姿で街を行く