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148 善光寺異聞 〜門前で心中事件のかわら版〜

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 善光寺参道では石畳の整備が進み、長野信金大門町支店(かつての本店)の大きなビルが消え、新しいビルに建て直し中。沿道の景色は年々変化するが、小路などをぶらぶら歩きすると面白い景観や話にぶつかる。江戸時代には門前で、かわら版が発行されていた...。


 「かわら版は現代の号外ですね。討ち入りや仇討ち、大地震や火事の話とか-もっぱら江戸や大阪で発行されたのでは。地方の門前町でも、かわら版があったんですか?」


 貴重な現物が残っている。権堂町の遊女と大門町の材木屋の息子が心中した事件のかわら版だ。縦25×横30センチ余の典型的な木版刷り。ご丁寧にも豪華な衣装を着た遊女の後ろ姿のイラスト入りだ=写真。


 文面は「所は善光寺古ん堂(権堂)におきまして、いかり屋のおまちと申すもの年19歳にて恋路に迷い...材木屋の金五郎24歳と...ぜひなく心中の次第をご覧ください」とある。


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 所蔵しているのは王子製紙の"かみはく"。東京・王子の紙をめぐる博物館だ。今日の新聞号外と違って、かわら版には発行年月日がないので、心中事件はいつの事か分からない。「私たちは土地勘がないので、古ん堂(当て字)の地名が今日の権堂町とは分かりませんでした」と学芸員。


 かわら版の発行が盛んになるのは、江戸時代後期から幕末・維新にかけて。1855(安政2)年の『善光寺町絵図』(県立歴史館所蔵)を見ると、大門町に続く権堂村は「花街権堂」が特記され、ほぼ今日と同じ街区だ=地図参照。


 材木屋は朝暗いうちに大八車に積み込んだ木材を建築現場に届ける。昼間は棟梁(とうりょう)から次の注文を受け、夕刻までに柱や根太(ねだ)を製材して用意する。たぶん、まじめ一方の若旦那「金五郎」の毎日だったが、ひょんなことから越後美人の「おまちさん」といい仲に。「いくら働いても借金は減らない...いっそのこと阿弥陀様の膝元へ」というおまちに同情し...と推測できる。花街の遊女は困窮した山村や上越出身が多かった。


 遊女と商家の手代や番頭との色恋は、歌舞伎・落語のメーンテーマだ。江戸の浅草観音や神田明神、湯島天神など繁華街で売れるかわら版を目にして「よし、善光寺門前でも」と発案した数寄者の発行と思われる。弥次さん喜多さんの「続膝栗毛=善光寺」では、十返舎一九が門前の宿で心中事件に巻き込まれ、スッタモンダの騒ぎを描いている。


 「かわら版は大きく2種類ある。事件、戦争、天災、火事、伝染病、黒船来航など事実を速報、詳報したものと、世事をネタに尾ひれを付けた虚報に近いものと。後者では、まことしやかな神仏の御利益話が代表的です。このかわら版は世相を脚色し、娯楽のタネとしてお土産の一種にされたのでは」というのが、郷土史家の見解だ。


 当時の江戸かわら版を拝見すると「三つ子を生み、お上から12両余の褒美」「大阪に津波、船が逆流」「この世の終わり、安政大地震」「役者同士の嫉妬から歌舞伎の名優・団十郎切腹」「瞳三つの怪童誕生」などと具体的だ。


 事実に加え脚色に力を入れたかわら版は、今日の週刊誌、女性誌にも似ている。善光寺土産も、毎度酒蒸しまんじゅうでは飽きてしまっていたのだろうか。

(2013年3月30日号掲載)

 
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