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023 フィレンツェ ブルネレスキ 〜花の聖母教会の天蓋設計〜

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 フィリッポ・ブルネレスキ。この男の生き方に、私は深い共感を覚える。14世紀から15世紀にかけて活躍した彫刻家であり、建築家でもある。


 フィレンツェのシンボルであるドゥオモ「花の聖母教会」(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)の天蓋(クーポラ)=写真上=を彼は設計した。日本でもコーヒーのCMなどでよく知られている赤いドームの建物だ。


 彼の名を有名にしたのは、まずは彫刻だった。ミケランジェロが「天国の門」と名付けた聖ジョバンニ洗礼堂の第2青銅扉のコンクールに応募し、決勝に残った「イサクの犠牲」の作品だ。老いてやっと子どもができたアブラハムが、神から非情な命を受けてわが子イサクを生贄(いけにえ)に捧げんとする瞬間のスリリングな旧約聖書の一場面を彫った。革新的な構図に自信満々だったブルネレスキ。しかし決勝に残るも、優勝したのは伝統的な手法に基づいたギベルティだった。


 ブルネレスキは心に深い痛手を負い、フィレンツェを去る。ローマに行って新たな挑戦が始まった。建築学を一から勉強する。雌伏10年。折しも故郷フィレンツェでは、壮大な花の聖母教会が建設されていた。


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 問題は、巨大な天蓋の取り付けだった。高さ100メートルにも及ぶ巨大なドームのため、この取り付け工事が難航。これに挑んだ宿命のライバル・ギベルティがドームの下部工事に失敗。総監督の役がブルネレスキに回ってきたのだ。


 彼はゴシック様式から、美しさを基調としたルネッサンス様式を採用。天蓋を八角形にする斬新な発想で、上品なフィレンツェのシンボルに仕上げた。


 この天蓋からフィレンツェの街並みが一望できる。隣に立つのはジョットの鐘楼。後にローマ法皇庁・バチカンのシンボルであるサン・ピエトロ寺院の天蓋をデザインしたミケランジェロをもってして「ブルネレスキの花の聖母教会のドームにはかなわない」と言わしめた。


 彼の生涯にはロマンを感じる。自分の自信作が選ばれずに卑屈になってうじうじと一生を送る生き方もあれば、いい意味で見返す人物もいる。


 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の向かいには、どっしりと居座る美しい天蓋を右手頭上に見上げるブルネレスキの彫刻がある=同下。観光客の中には、そうとも知らずに通り過ぎてゆく人もいる。私はこの誇らしげな彼の彫刻を見るたびに、心から祝福の拍手を送っている。

(2013年3月30日号掲載)

 
ヨーロッパ美の旅