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23 山階鳥類研究所 〜初の「平民所長」に 常勤で改革に着手〜

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 山階鳥類研究所といえば、秋篠宮さまが総裁で、ご結婚前の紀宮清子さまも所員でいらしたのですから、宮内庁直轄と思われたり、所長は優雅な名誉職という誤解もあるようです。実際には、民間の一公益財団法人で運営資金は寄付頼り。内情を知った上で所長を引き受けるには、相当の覚悟が要りました。


 京大大学院教授と兼任で副所長を2年務め、定年退官と同時に所長に就任したのが2002年です。再就職先としては、複数の私立大学からオファーをいただき、私益だけを考えたら大学教授の方がずっと有利であることは承知していました。


私なりの恩返し

 それでも所長になった一番の理由は、恩返しです。田舎の中学教師だった私のホオジロの論文の英語をリライトして発表してくださったのが、当時の所長の黒田長久博士で、その後を託されたのが私。お断りするわけにはいきません。今度は自分がアマチュアを発掘するのも、私なりの恩返しだと思いました。もう一つ挙げるとすれば、単位取得が主目的の学生相手に講義するのが好きでなかったことがあります。


 山階鳥類研究所の創設者で初代所長の山階芳麿博士は侯爵で、2代目の黒田先生は福岡藩の"お殿様"です。世俗の経済事情に頓着されない伝統は、時代が変わっても続いていました。そこに初の「平民所長」として就任したのが私。平民の目線で見えてくる課題は、まさに山積みでした。大学に籍を置きながらの非常勤所長という安全な道もあったのですが、この際、将来を見据えて持続可能な組織にしておくべきだと考えた私は、あえて常勤所長になって改革に取り組むことにしました。


 最大の問題は脆弱な経済基盤です。環境省の委託事業を除くと、独自事業と人件費で約1億円。あまりに時代錯誤の所員の給与を少しでも上げ、批判覚悟で職務の見直しもしました。研究所の評議員、森本丘利さんを中心に、長野に「賛助員の会」を立ち上げていただき、大勢の友人や知人に入会してもらったり、多額のご寄付を頂いたのもうれしかったです。


 そして、鳥類学者のサロンを脱却し、開かれた安定した組織にするため、経済・産業・官庁・学界・マスコミ関係などの重鎮の方々を委員に迎える「将来計画委員会」を設置し、ここで短・中・長期の計画を検討していただきました。


 山階芳麿賞の賞金は、朝日新聞社から50万円頂けることになりました。私は派手なことが好きなものですから、ついでに有楽町の朝日ホールも借りて盛大な授与式を行いました。

貴重な標本を公開


 次の問題は研究所の存在意義に関わることです。鳥の生態研究はもう大学で十分なされている時代。それよりも私がずっと残念に思っていたのは、6万点近い鳥類の標本が整理されないままだったことです。研究所は元々、山階博士が私費を投じて私邸内に「鳥類標本館」として開設したもので、山階邸は空襲で全焼したのに標本館だけは奇跡的に残りました。文部科学省の補助金を得て、この世界的にも貴重なコレクションの整理を進め、データベースをホームページで公開し、誰でも閲覧できるようにしました。


 伝統ある組織を変えようとするのですから苦労続きでしたが、そんな中で喜ばしかったのは紀宮さまのご結婚です。内定が発表されると山階鳥類研究所は一躍有名になりました。所長就任の歓迎会の席で、紀宮さまがコップに日本酒をついでくださったのも忘れ難い思い出です。

(聞き書き・北原広子)

(2013年4月13日号掲載)


=写真=山階鳥類研究所の門前で

 
山岸哲さん