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24 大町街道 小市の渡し 〜交通の要 犀川の渡河地点〜

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 春待ち日和の3月17日、小田切の花上(はながみ)観音から小市の渡しを経て安茂里・大門の正覚院(しょうかくいん)まで歩く。


 昼下がりに七二会の飯森入り口でバスを降りる。すぐ小笹橋を渡り、水の温み始めた犀川の左岸沿いの道を東へ。小川村高府からのこの道は、かつて「山中往来」と呼ばれ、北安曇、西山地区からの要路だった。


 案内板に従い、花上地区への坂を上る。間もなく「花上三十三体観音」の道しるべで、小径を入ると石仏群が春の陽光を受けて待っている=写真下。


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 石垣の上に勢ぞろいしている信濃三十三観音の石仏は、山中往来沿いの9カ村により1859(安政6)年に建立され、以前は往来の各所に配されていた。近くに住む塩入孝男(のりお)さんは「昭和初期に、崩れやすい道路の難を避けるため、ここに集められたと伝え聞いている。地元有志により通路や敷地を整え、春には素朴な祈りを続けている」と語った。犀川に向かって立ち並ぶ石仏群の空間は春の恵みに満ちている。


 左岸沿いの道に戻り、さらに東へ進み両郡橋を右岸へ。県道を四ツ屋地区に進むと間もなく小市橋への入り口である。


 古来、犀川の渡河地点は北信濃の交通の要であった。古代東山道支道時代から北国街道開通まで、更級側では「舟渡(ふなと)」と呼ぶ小松原経由の犀川越えが「国の大道(おおみち)」と想定されている。四ツ屋郷土史研究会により復元された「古代舟渡大道の跡」の標柱に往時を偲びながら小市橋を渡り小市地区に入る。


 近くの信濃観音霊場第12番札所の無常院に立ち寄り、中御堂観音に十句観音経を読誦。


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 交通の要地・小市は、平安時代に比叡山延暦寺の荘園であった。末寺の日輪寺、月輪(がつりん)寺が安茂里地区に併存し、ここには日光菩薩の日輪寺が配されていた。今は偲ぶよすがもないが、その後も西から南から善光寺町へ、また聖地・戸隠への入り口としてにぎわいを見せていた。


 一茶は1791(寛政3)年、大雨による丹波島の渡しの川止めで、ここに回っている。〈五月雨や 雪はいづこのしなの山〉は、その時の句である。


 大町街道(国道19号線)を東へ進み、大門地区から正覚院への坂を上る。正覚院は窪寺観音の名で知られた真言宗の古刹であり、延暦寺の末寺・月輪寺の旧跡でもある。観音堂で本尊に十句観音経を読誦。


 ここには、私の山伏修行を強く支えた友が眠っている。墓前に香と写経を供えて供養。「我な忘れそ、君が情と、いま我在るを」

 山門で、南に広がる薄霞みの川中島平に合掌。彼岸入りの午後の充実した半日に感謝しながら帰途に就いた。

 次回は信州新町の川口から鳥立(とりたち)峠、山上条(やまかみじょう)峠を経て中条の五輪道路まで歩く。

(2013年4月13日号掲載)


=写真=看板が立つ小市の渡し跡

 
絆の道