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25 敗者復活戦 〜好きなことを追って多くの出会いと助け〜

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 山階鳥類研究所の将来にある程度の道筋を立てた私は2008年、副所長の林良博先生の東大退官を待って後をお任せし、所長職を辞しました。そして「新潟大学朱鷺自然再生学研究センター」の初代センター長になり、続いて「兵庫県立コウノトリの郷公園長」も兼ねるようになりました。希少鳥類の保全という山階で取り組んでいた「役に立つ学問」の延長線上を歩んだわけです。


 それまで、私は国土交通省の審議会委員などを務めていました。生態学者には、生態系を破壊するのが仕事のような国交省を敵視する人も多いが、私は「応用生態工学会」という学会を、国交省の河川局長で後に水資源開発公団総裁になった工学博士の近藤徹さんらと立ち上げました。生態学と河川工学と行政の3者が一体になる新しい学問分野が必要と考えたからです。


 原点は教師時代

 その原点は教師時代です。千曲川河川敷のホオジロ調査地が河川工事のブルドーザーで破壊された経験から、私は河川環境の保全を訴えており、その過程で近藤さんと知り合い意気投合していました。


 ただ、国交省と手を組むかのようなこの学会は、誘っても入会を拒否する方もいらっしゃいました。初代会長に就任してくださった川那部浩哉先生はそれを逆手に取り、そうした方々に「私が入会しない理由」という意見を学会誌の創刊号に寄稿してもらったのはフェアでした。


 この学会は、河川環境をどう守るか悩んでいた国交省や、人間社会に役立つ研究への志向が強まっている学生にも人気で、今も会員数が増えています。環境分野で闘うなら、完敗よりは1でも取れ-というお考えだった羽田健三先生から、中・高・大と一貫教育を受けた成果が、ここに来てまで発揮されるとは思っていませんでした。


 先日、久しぶりに羽田研究室の同窓会があり、有志で市内の霊園を訪ね墓参をしましたが、同じ霊園に山岸家のお墓もあります。私は死んでも先生から離れられないようです。先生の墓誌を見てびっくりしました。「享年73歳」とあるのです。ちょうど今の私と同じ歳です。これからは、先生が生きた先の世界を歩んでいくことになります。


 「あなたは研究者ではなく教育者だね」とよく先輩や仲間から言われます。それが当たっているとしたら、私が教育学部出身だからではありません。「教育学」とは何かなど一度も考えずに、羽田先生の下で鳥を追いかけていただけの私が、もし「教育者的」であるとすれば、10年間の中学理科教師経験がどこかで出てきたのでしょう。


 好きな都々逸

 2003年に妻の幸子を亡くした私は、4年前に中学時代の同級生の滝澤弘子と再婚しました。残り少ない月日を寄り添って生きていきたいと思っています。振り返ると、私の人生は多くの人たちとの出会いと助けがあって、ここまでやってこれました。感謝に絶えません。


 好きな都々逸に〈ボウフラが 人を刺すよな蚊になるまでは 泥水のみのみ 浮き沈み〉があります。これからの人たちに特に言い残したいのです。人生は何も18歳の春で決まるものではありません。敗者復活戦の繰り返しです。好きなことを、一生かけて追い続けてほしいものです。

(聞き書き・北原広子)

(2013年4月27日号掲載)


=写真=新しい伴侶と京都にて

 
山岸哲さん