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031 早春賦 ~早春の信州をしみじみと~

早春賦

    吉丸一昌作詞

    中田 章作曲


一、春は名のみの 風の寒さや

  谷の鶯 歌は思えど

  時にあらずと  声も立てず

  時にあらずと 声も立てず


二、氷解け去り 葦は角ぐむ

  さては時ぞと 思うあやにく

  今日もきのうも 雪の空

  今日もきのうも 雪の空

    

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 にわかに勢いを強めた低気圧が北海道沖に抜け、暖かな南風に代わって大陸の寒気が吹き込んだ日だった。空は晴れ、日差しも強いのに、風が冷たい。


 遠く北アルプスの山々が真っ白に輝く安曇野を歩いた。明科側から犀川に架かる長い橋を渡り、すぐまた高瀬川を越える。


 ああ、これなんだ...と思った。川風が向かって来る。ポケットから手袋を取り出し、コートの襟を立てた。まさしく「春は名のみの 風の寒さ」である。


 もとより、ウグイスのさえずりが聞こえるはずもない。

 こんどは穂高川を通り過ぎた。車の往来が激しい道路を離れ、田の中の小道をたどる。「早春賦碑 600m」の看板が目に入る。


 ワサビ畑の脇に短いながらも、遊歩道が設けられている。木製の橋や階段に導かれ、穂高川の堤防を上った。「早春賦」の歌碑が、桜並木の傍らにあった。


 作詞者の吉丸一昌は1873(明治6)年9月15日、現在の大分県臼杵市海添に生まれた。東大国文科を卒業し、東京音楽学校教授になる。


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 1911(明治44)年、創立10周年を記念した旧制大町中学(現大町高校)校歌の作詞で安曇野を訪れた。その折に受けた感銘が2年後の「早春賦」誕生につながったとされる。


 だから歌碑は、大町市の文化会館前にも「早春賦発祥の地」として立っている。


 その辺の具体的ないきさつになると、必ずしもはっきりしない。九州育ちの国文学者が、山国で暮らす人々の春を待つ心情を、よくぞこれほどまで巧みに、こまやかに表現できたものだ。ただただ感心してしまう。


 氷が解けて消え、アシなど草木の芽が角のように膨らみ始める。いよいよ春か、と思えば、あいにく空は雪模様でつれない。


 とはいえ、ひたすら耐え忍ぶだけではない。厳しさの中に熱い命の鼓動が秘められている。3番が象徴的だ。


  春と聞かねば 知らでありしを

  聞けば急かるる 胸の思いを

  いかにせよとの この頃か

  いかにせよとの この頃か


 春は人の胸の内にも燃えるものを生じさせる。夢、希望、志、恋...。春と聞けば、それらがふつふつと湧き上がってくるのだ。この歌が時代を超えて愛唱される源だろう。


 〔賦〕早春賦の「賦」は詩や歌を意味する。つまり、早春の詩歌ということになる。漢文の韻文体の一つで、事実や風景をありのままに表し、心に感じたことを加えたものを指す。

(2013年4月6日号掲載)

=写真=雪の北アルプスを背に立つ早春賦碑

 
愛と感動の信濃路詩紀行