早春賦
吉丸一昌作詞
中田 章作曲
一、春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
二、氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空

にわかに勢いを強めた低気圧が北海道沖に抜け、暖かな南風に代わって大陸の寒気が吹き込んだ日だった。空は晴れ、日差しも強いのに、風が冷たい。
遠く北アルプスの山々が真っ白に輝く安曇野を歩いた。明科側から犀川に架かる長い橋を渡り、すぐまた高瀬川を越える。
ああ、これなんだ...と思った。川風が向かって来る。ポケットから手袋を取り出し、コートの襟を立てた。まさしく「春は名のみの 風の寒さ」である。
もとより、ウグイスのさえずりが聞こえるはずもない。
こんどは穂高川を通り過ぎた。車の往来が激しい道路を離れ、田の中の小道をたどる。「早春賦碑 600m」の看板が目に入る。
ワサビ畑の脇に短いながらも、遊歩道が設けられている。木製の橋や階段に導かれ、穂高川の堤防を上った。「早春賦」の歌碑が、桜並木の傍らにあった。
作詞者の吉丸一昌は1873(明治6)年9月15日、現在の大分県臼杵市海添に生まれた。東大国文科を卒業し、東京音楽学校教授になる。

1911(明治44)年、創立10周年を記念した旧制大町中学(現大町高校)校歌の作詞で安曇野を訪れた。その折に受けた感銘が2年後の「早春賦」誕生につながったとされる。
だから歌碑は、大町市の文化会館前にも「早春賦発祥の地」として立っている。
その辺の具体的ないきさつになると、必ずしもはっきりしない。九州育ちの国文学者が、山国で暮らす人々の春を待つ心情を、よくぞこれほどまで巧みに、こまやかに表現できたものだ。ただただ感心してしまう。
氷が解けて消え、アシなど草木の芽が角のように膨らみ始める。いよいよ春か、と思えば、あいにく空は雪模様でつれない。
とはいえ、ひたすら耐え忍ぶだけではない。厳しさの中に熱い命の鼓動が秘められている。3番が象徴的だ。
春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
春は人の胸の内にも燃えるものを生じさせる。夢、希望、志、恋...。春と聞けば、それらがふつふつと湧き上がってくるのだ。この歌が時代を超えて愛唱される源だろう。
〔賦〕早春賦の「賦」は詩や歌を意味する。つまり、早春の詩歌ということになる。漢文の韻文体の一つで、事実や風景をありのままに表し、心に感じたことを加えたものを指す。
(2013年4月6日号掲載)
=写真=雪の北アルプスを背に立つ早春賦碑