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07 スキー山行 工夫した登山用品 地吹雪におののく

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 スキー山行で初めての夜は、テントを張って5人が一緒に寝ました。今から振り返ると、便利な登山用品が出回っていないころで、いろいろな工夫がありましたね。


 まず、マットに何を使ったかというと炭俵です。炭は当時の主要なエネルギー源ですから、どこの家にもカヤ製の大きな炭俵がありました。これをほどいて平べったいマットにし、丸めて持ち運び、最終日には燃やして一時の暖をとります。名付けてカヤ・マット。


 重くはないのですが、何しろかさばるし、炭俵ですから炭の粉が付着しています。これが雪で湿って寝袋にも服にも付いて真っ黒に。なかなかやっかいな代物でした。


寝袋は米軍放出品

 今は素晴らしい性能になっている寝袋は、米軍の放出品でした。朝鮮戦争で遺体を運んだものともいわれ、クリーニングはしてあるのですが、所々に血痕の黒い染みがありました。中身は一応フェザーではありますが、ニワトリの羽です。テント同様、水を吸うので重さが増していきます。


 縫製も荒っぽく、フェザーは偏って一番肝心の背中の部分は布2枚だけというありさまです。それでも眠れたのですから、人間の適応力はすごいと思います。


 テント泊を2晩続けた3日目、火打山の高谷池(たかやち)に着きました。ここには高谷池ヒュッテがありますから、少しは快適に眠れることへの期待でいっぱいでした。ところが、ヒュッテがなくなっているではありませんか。


 もともと4〜5メートルに達する豪雪地帯の上、その日は地吹雪で一寸先も見えません。雪の威力におののきながらウロウロとヒュッテを探し回り、ようやく足元に屋根の一部が少し突き出ているのを発見しました。どうやら屋根の上で迷っていたらしいのです。スコップで掘り下げて、私たちは2階の窓から屋内に入ることができました。登山者を守るために窓は施錠してありません。


 中は土間です。そこに雪が吹き込み、3分の1は天井まで雪でいっぱいになっていました。これが煮炊きには便利で、居ながらに雪を鍋に放り込むだけ。わざわざ外に出なくていいので助かりました。とはいえ、水分の少ないサラサラの雪では、鍋いっぱい詰め込んだところでわずかの水にしかならず手間はかかりました。


 翌日は、妙高山の外輪山を経て関温泉まで滑り降りる最終日です。天気は快晴、一面の銀世界です。


転倒し雪にもがく

 大滑降が始まりました。先輩4人はスキーが上手ですから、見事なシュプールを描いてどんどん先に行ってしまいます。荷物が重いのと技術的に劣る私は、ここで大転倒。ストックを突いても底なし沼のように手応えがありません。


 雪に埋まるとはどういうことかというと、鼻に雪が入って息ができなくなるということです。鼻の中で雪が凍ると最悪で、窒息する危険性が高くなります。今年も雪崩の犠牲者が幾人も出ましたが、春先の雪崩は雪が重いので圧死。冬は軽くてふわふわの雪なので窒息死がほとんどです。


 もがいたところで雪に沈むばかり。なんとか落ち着いて足場を固めて立ち上がりました。そんな自分に比べると、先輩たちの体力と技術は素晴らしい。先輩の後ろ姿を見ながら「あんなふうになりたい!」と憧れました。

(2013年6月22日号掲載)


=写真=スキーであえぎながら登る

 
田村宣紀(のぶよし)さん