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028 フィレンツェ 受胎告知 〜控えめなしぐさに慈しみ〜

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 聖母マリアに神の子が授かったことを、大天使ガブリエルが告げるという「受胎告知」は中世から格好の絵画、特に祭壇画の題材にされてきた。


 ウフィッツィ美術館にあるレオナルド・ダ・ビンチの出世作「受胎告知」は、解剖学的にも完璧な天使の羽が描かれている。さらに、3つの遠近法とスフマート(ぼかし技法)を駆使した完璧な構図といわれる。


 その少し前の15世紀に評価されて愛され続けてきた受胎告知の名作が、同じフィレンツェのサンマルコ修道院にある。作者はフラ・アンジェリコ。フラは僧侶・修道僧のこと。かねて祭壇画を描くのは、工房の職人か絵心のある僧侶だった。


 本名はベッキオ・ディ・ムジェッロ。彼が傾倒していた著名な学者トマス・アクィナスが「天使のごとき博士」と呼ばれたことから、その穏やかな性格で描くフレスコ画のタッチから「天使のような修道僧」という意味のフラ・アンジェリコというあだ名が付いた。


 衝撃的だったのは、隣接する美術館の1階に飾られている彼の作品ではなく、僧坊に至る階段の上部突き当たりで見上げた時だ。彼の受胎告知が目当てだったとはいえ、まさか見上げる正面に立ちふさがっていようとは思ってもみなかった。無防備だった私は、心拍数が急激に上がったのをはっきり覚えている。


 ダビンチの作品とは違って大天使の羽がペタっとしているとはいえ、マリアの優しい表情やしぐさに共感を覚える。特に告知する大天使と聖母のしぐさが控えめで、共に神への敬虔を示唆する、両手を胸の前で交差させるポーズはアンジェリコの性格をも暗示しているようだ。もう中世の画家ではなく、ルネッサンスの先駆けを思わせる慈しみと人間味のある画風だ。


 僧坊には一人一人のために、彼が心を込めた新約聖書の場面場面が描かれている。キリストが復活して触れようとしたマグダラのマリアに「まだ私に触れてはいけない」(ノリ・メ・タンゲレ)と諭すシーンは様々な教材になった名画でもある。


 フラ・アンジェリコはドメニコ会の修道士として生涯敬虔な祈りの生活を送ったが、遠近法を確立したマザッチオの影響を受けて空間表現や光の技法などを貪欲に取り入れている。


 その後、サンマルコ修道院の院長になったサボナローラが巻き起こした"騒動"はフラ・アンジェリコとは似ても似つかない激しさだった。サボナローラはルネサンスのきらびやかさを苦々しく思って焚書(画)を徹底し、後に火あぶりの刑に処せられている。

(2013年6月15日号掲載)


=写真=フラ・アンジェリコの「受胎告知」

 
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