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大阪・兵庫01 江口(えぐち) 〜西行に遊女が返歌〜

 〈あらすじ〉 旅僧が江口の里を通りがかり、ここで西行法師が遊女に宿を断られた話を思い出し、その時の和歌を口ずさむ。すると女が現れ、世を捨てた僧だから、遊女の宿に近寄らないように諫めただけ。「私は江口の君の幽霊」と言って消える。僧が弔っていると江口の君が他の遊女を伴い、舟に乗って現れる。境遇のはかなさ、この世の無常などを語り、やがて普賢菩薩(ふげんぼさつ)となり、白象となった舟に乗って西の空に消えてゆく。

    ◇

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 この謡曲は、鎌倉前期に書かれた西行法師の逸話を集めた撰集抄(せんじゅうしょう)に典拠した。原典によると、西行が天王寺に参詣するため、江口の里まで来て、遊女の宿に泊まろうとすると断られた。そこで「世の中を厭ふまでこそ難からめ 仮の宿りを惜しむ君かな」(世を嫌って捨てることは難しいが、一夜の宿を貸すくらいは容易なこと。それを君は惜しむのですね)とつぶやく。すると返歌がきた。「世を厭う人とし聞けば仮の宿に 心とむなと思うばかりぞ」(お坊さんは世を捨てた人と聞きます。遊女の仮の宿に興味を持ってはいけないと思いますよ)。


 思いがけない返歌に西行は驚き、2人は和歌の話で意気投合した。この問答歌は勅撰の新古今和歌集に載っている。


 江口の君は、平資盛(すけもり)(重盛の次男)の娘といわれているが、定かではない。ただ、平家の武将たちが討たれた後、遊女に身を落とした妻子は少なくなかったようだ。西行は出家する前は鳥羽院を警護する北面の武士で、平家一門と親しかった。出会いは偶然だったのかどうか。


 江口の君はその後、仏門に入り、江口の君堂(寂光寺)を創建した。大阪市東淀川区南江口にある。当時は淀川と神崎川の河口で、瀬戸内海から淀川を上って京都に通じる交通の要所だった。港の宿場町として栄え、遊女も集まってきた。


 阪急京都線「上新庄」駅からバスで訪れた。「江口君堂前」で下車すると、近くの跨線橋(こせんきょう)下に「江口君堂参道」の石柱があり、住宅道路となった参道を数分歩くと、淀川の土手に突き当たり、その手前に君堂があった。


 こぢんまりとした古寺だった。本堂に江口君像が安置され、境内に西行塚と君塚、問答歌を刻んだ石碑などがあった。作業衣を着た中年女性が一人で草を取っており、二言、三言言葉を交わした。君堂は尼寺だ。それなら何十代目かの江口の君ではなかったか、と帰りのバスの中で気が付いた。


 菩薩となった江口の君が消えてゆく謡曲の最後の一節を、謡曲仲間では、先立った友の「葬送歌」として謡う。私も2回ほど謡っている。

(2013年7月6日号掲載)


=写真=江口の君堂の正面

 
謡跡めぐり