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037 東歌 ~移ろう時節に哀愁ひとしお~

信濃なる須賀(すが)の荒野(あらの)にほととぎす鳴く声聞けば時すぎにけり

(万葉集巻14 東歌(あずまうた))

    ◇

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 万葉の旅人も、心安らいだのではないか。同じ体験を重ね合わせた心境に駆られてくる。

目にも爽やかな瑠璃色。染み入るようなコバルトブルー。濃く、そして深い、鮮やかな青色である。


 それが、すがすがしい緑の木々に囲まれ、すっぽりと静かな水辺の空間をつくっている。塩尻市街地の南、宗賀地区にある平出(ひらいで)の泉だ。


 ここまで塩尻駅から約2.3キロ、歩いて40分ほどの道中は、日差しを遮るものが何一つない。ほぼ中央線沿いに桔梗ケ原を貫く舗装道路の両側は、広々とブドウ畑が連なっている。


 炎天下、タオルで汗を拭いながらたどり、ようやく泉のほとりの木陰に腰を下ろした。涼風が汗ばんだ肌をかすめていく。


 ホッと一息つくにつれ、「信濃なる...」で始まる歌が、頭の中を行き来し始めた。千数百年も昔の万葉人は、ここにどんな思いを託そうとしたのか-。


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 信濃の国の須賀というところにある荒れた野原で、ホトトギスの鳴く声を聞くにつけ、もう時は過ぎ去ってしまったのだと、しきりに思えてならない...。

こんな、しんみりとした心情が、歌全体に込められている。


 ところが一歩踏み込むにつれ、かねがね解釈が割れてきた。それも基本的なところで異なるから戸惑わされる。


 まず、肝心の「時すぎにけり」の時が、何を指しているかだ。田植えや草取りなど農耕をする時期、都から地方へ来ていた人が戻る時、旅に出ていた夫が帰ってくるころ、恋人と会う約束をした時など、幾つかあって定まらない。


 だれが詠んだのかをめぐっても、見解は分かれている。


 東歌には信濃をはじめ都から遠く離れた東国で、人々が歌い合う民謡調のものが多く含まれる。この歌も土地の人たちが農耕を思い描いて歌ったとするのが一方の解釈だ。


 もう一つは、都からこの地へ通りかかった旅人が、都に残してきた人を懐かしんで詠んだ歌とする説である。民謡ではなく、個人の感慨ということになる。

 

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 須賀の地名に関しては、今の上田市菅平を挙げる向きもある。けれども大勢は、広大な松本平の南端、木曽谷の入り口に近い桔梗ケ原、その中でも平出遺跡周辺とする見方が根強い。


 平出の泉に足が向かったのも、この説に引かれてのことだ。地下から湧き出る清水は四季を通じて絶えることがない。この水で縄文から弥生、古墳時代の豊かな集落が育まれた。


 復元された古代の村を眺めれば、荒野どころではない。より華やかな都を見慣れた人の目だからこそ、荒野と映ったのだ。そんな確信を覚えるのだった。


 〔ホトトギス〕夏の渡り鳥で全長約28センチ。ヒヨドリよりやや大きい。古来、春のウグイス、秋の雁と並んで親しまれ、文学作品に多く登場する。あやめ鳥、さなえ鳥、たちばな鳥、夕かげ鳥などの異名も。

(2013年7月6日号掲載)


=写真上=青く映える平出の泉

=写真下=復元住居が往時をしのばせる

 
愛と感動の信濃路詩紀行