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038 加舎白雄 ~ことさらに物語のごとく~

 なかんづく鮎の尾あかし千曲川

             加舎白雄(かやしらお)


    ◇


 アユの尾が赤くなるほど、流れがきつい千曲川であることよ-。


 こんなふうに解釈すればいいのだろうか。

それにしても、と考え込む。普通、アユの尾は赤くならない。川魚ではウグイが産卵期、腹部を縦じまに彩る。


 そうではないアユなのに「なかんづく」とまで言い切り、アユの尾が赤いとは、どういうことだろう。

 結婚せずに独身を通し、生涯かけて俳諧に打ち込んだ白雄だ。間違っても雑な言葉遣いをするはずがない。


 この句には「人労して髪白く、魚労して尾赤し」が添えられている。人間は苦労して髪が白くなり、魚は苦労して尾が赤くなるというのである。


 アユは秋に川の下流で産卵し、稚魚はすぐ海に下る。そして翌春、川をさかのぼり、夏を中流域の清流で成長しながら過ごす。


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 わずか1年の短い命だ。そのアユが千曲の川底で、急流に身をもまれている。人の世も苦労は多いけれど、アユもまた苦労が多い...。


 なかんづく-の一句からは、命あるものが懸命に生きていくことへの、優しいまなざしが感じ取れる。現実のアユというよりも、アユの一生に想像力をたくましくした産物だ。


 上田市と埴科郡坂城町の境で、にわかに千曲川は狭くなる。東西から絶壁が突き出ており、岩鼻と呼ばれる。


 ここを抜ければ、また両側が開け、川幅も広くなって戸倉上山田温泉方面へ続く。一帯は昔からアユの釣り場として知られてきた。


 白雄は1738(元文3)年8月20日、上田藩士の次男として江戸深川の藩邸で生まれた。5歳で生母、13歳で継母が亡くなる不遇な幼少期を体験する。


 俳諧で身を立てつつあった32歳の折、ふるさと上田に入る。同志の力を結集し、姨捨の長楽寺境内に尊敬する松尾芭蕉の句碑「おもかげ塚」を建立した。


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 それは54年の生涯を閉じるまで、芭蕉の精神に立ち返ることを旗印に果敢な活動を貫く一里塚だった。平明にして奥深く、繊細にして明快な作風は今なお魅了してやまない。


 千曲市上山田の万葉公園には「なかんづく」の句碑がある。戸倉の坂井銘醸、白雄記念館には蔵の2階から見つかった手紙など多数の資料が展示されている。

上田市の上田城跡公園にも、代表作「ひと恋し火とぼしころを桜ちる」の碑が立つ。


 ゆかりの場を巡り思いを強くしたことがある。芭蕉-蕪村-一茶。文学史上一続きで捉えられる江戸期の俳諧だ。その中で蕪村と同じ時期に同じように文芸復興に貢献した白雄の位置づけが低過ぎはしないか、という点だ。


 川べりに下り、さりげなく奏で続ける千曲の瀬音に向かって、そっと問いかけてみた。

(2013年7月20日号掲載)


=写真1=戸倉上山田付近の千曲川

=写真2=万葉公園の「なかんづく」の句碑


 〔芭蕉に帰れ〕芭蕉の没後半世紀、卑俗化した俳諧を、蕉風の基本に戻って文学性豊かによみがえらせようとした運動。京都の蕪村、尾張の加藤曉台(きょうたい)、江戸の大島寥太(りょうた)や白雄らが主な推進役を果たした。

 
愛と感動の信濃路詩紀行