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72 〜犬−野性の持つ美しさと力4〜

 動物の掛け値なしの誠実さや、飼い主へのひたむきな忠実さには、無条件で圧倒される。純粋そのものでしかない真っすぐに見つめる瞳と、ありったけ振り続ける尻尾には、ありがとう、ありがとうと言うしかない。汚濁と虚偽のなかに住む自分が浄化されるのを覚えるのだ。


 彼らは、汚染だ、環境破壊だなどという人災めいたことは何一つしない。生活舞台を壊し汚すことをしない。100%自然のおきてに素直に随(したが)っている。犬に助けられた話を続けよう。

老犬、老婆を救う


 信濃毎日新聞の「斜面」(2007・10・12)でこんな話を読んだ。寒空の下、73歳になる認知症の女性が、薄手のセーターにジャンパーという軽装で一夜を明かした。氷点下という冷え込みのなかだったという。そんななか見知らぬ犬が一晩中老婆に寄り添ってくれ、凍えずにすんだというのである。


 犬は78歳になる別の女性の飼い犬だったそうだが、飼われてすでに10年以上はたつという老犬。体長が1メートルほどの雑種の雄だった由。その場面を察するに、女性は「寒くはなかった」と語ったということからすれば、犬を抱くようにして暖を取ったということであろうか。


 ともあれ、冬の野外で老犬が認知症の老婆に寄り添って一夜を明かしたという事実がそこにある。そこに介在するものは何もなく、あるとすれば、無償の純な世界のなかで、救い救われたということだけだ。


 犬は女性がそこに一人でいることをどうして知ったのか。全くの偶然でか、それとも優れた嗅覚で近寄ったのか。憐憫の情なり、惻隠の情が自然の発露としてあったことは言うまでもなかろう。暗闇のなか、女性がいるそこに向かって犬は歩いたのだ。見つけるとゆっくり尻尾を振りながら、そこに座ったということであろうか。


 女性が慈悲を求め、憐れみを乞うていたわけではないことは言うまでもない。



夫人の焼香と共に

鳴いた犬    

 これも聞いた話-。安曇野市豊科在住のIさんは愛犬家として知られ、11匹も飼っていた。そのIさんが亡くなられ葬儀の折、夫人が最後の別れの焼香をしたとき、外に繋がれていた11匹の犬が、空に向かって一斉に鳴いた。なんとも悲しい鳴き声であった。会葬者一同、鳥肌が立ったというのである...。


 川上犬のこと-。猟師が山のなかで弁当をどこに置いたのか分からなくなった。犬が番をしていてくれた、というのだった。


野性の喪失

 文明病に取りつかれると、人間はその日から体で学ぶことを怠り、頭でっかちになる。野性味が後退し、たくましさが衰える。縄文人と比べるとき、聞く力も、見る力も、嗅ぐ力も、その他もろもろ全ての面で比すべくもない。古代、先人たちは北陸の浜から木っ葉舟を操って遠くシベリアまで往来した。江戸期の善光寺大伽藍の造営に当たった材木運搬のことだけを考えても、現代の技術、勘は遠く先人に及ばない。


 同様に動物も人に飼われ、自ら食を探さなくなり、住まいを与えられてから、野性は大きく失われた。家畜としてでなく、愛玩されペット化されて、その傾向はいよいよ急だ。


 朝日新聞の「折々のうた」にこんな歌が載った。

野性すでに消えし犬・猫にリボン結び

〈可愛い〉などと言ふ甘ったれ

斎藤 史


 大岡信氏はこう解説する。愛犬や愛猫をリボンやら服やら胴巻きやらで飾りたてている人は、これを読んだら途端に腹を立てるだろう。痛快な歌である。...(作者は)筋金入りの生活者の歌人。


 動物生態学者の今泉吉晴氏はこう語る。以下、断片的であるが...

 「...印象に残るのはやはりイヌの"人の心を読む"能力なのです。..."人を読む"名人であるイヌがなぜ"しつけ"を拒否し、問題行動を起こすのでしょうか?」 そして中野孝次氏の『犬のいる暮し』(岩波書店)から引用し、「番犬でも、猟犬でも、愛玩犬でもなく、運命をともにする伴侶」と結論し、「...そこでこそ互いの姿に言葉を越えた発見ができ、そのことを通じてさらに絆を深化させるのです...」と。  (日本思想史家)


(「犬-野性の持つ美しさと力」の項おわり)

(2013年7月20日号掲載)

 
美しい晩年